牛の起立様式からみた牛房での有孔マットの応用例
掲載日:2020.04.24
獣医学群 獣医学類 生産動物医療分野
獣医臨床教授 阿部 紀次
はじめに
九州(壱岐)から北海道(江別)へ転職・転勤した2018年3月末、引っ越し後に誰もが行くホームセンターの店先で有孔ラバーマット(以下有孔マット)を見た時にハッとしたことを覚えています。私は過去に起立異常牛の診療をする度に、この牛に必要なのは「基礎疾患の治療」と「牛への安楽性:特に起立するために必要な牛床のグリップ力」だと思いながら、なかなか簡便な解決法を見いだせずにいました。今回ここで述べるのは、当初の2症例についてですが、その後も好結果を得た症例は増えており、分娩・治療に使われる牛房に有孔マットを敷くことで、比較的簡単にグリップ力を確保できることが実証されているところです。さらに今回の研究は「牛の起立動作の再検討」をさせてくれたことで、応用力のあるものになったように思います。
解説には要所に動画を差し込んであります。二次元コードでスマートフォン、URLでパソコンでも閲覧できるので参考にしてくださると、より理解が増すことでしょう。
早速ですが、まずは牛の起立動作を、牛床の違いで見てみましょう。
起立動作の観察
牛の起立動作を観察すると、砂のディープベッドでも(①、②)、マットレスでも(③、④)、寝ている時に上にした肢の蹄尖を、床に突き立てます。牛床にクッション性が求められる理由の一つです。もし蹄が伸び過ぎていると上手く突き立てられません。他方、もしも牛床が漏乳や糞尿で汚れていると、⑤のように滑ります。滑った跡を見ると、地面を蹴り押す力が加わっていることが分かります。改めて牛の起立動作には、牛床のクッション性とグリップ力が重要です。
一方で、牛房に入ってくる牛の多くは、ただでさえ足元がおぼつかない状態です。しかしながら、多くの牛房では、安楽性よりも掃除しやすい衛生面を優先させたフロア構造(比較的滑らか仕上げ)になっているようです。もちろん牛房に衛生管理は大切ですから、さらに寝心地が良く、しかも立ち上がりやすい床を牛に提供したいと考え、有孔マットを設置してみました。
有孔マット
有孔マットの輸入物はすでに搾乳パーラーで、作業者の足腰を護る意味で使われています(⑥)が、より安価で、弾力の豊富な物が、北海道の冬季玄関マットとして一般販売され始めています(⑦、⑧)。今回は本来の表裏を逆にして使用しました。その方が水はけも良く、ごつごつしていないことが理由です(⑨、⑩)。
衝撃試験(衝撃吸収能力試験)
本学循環農学類の家畜管理・行動学研究室は、過去に各種牛床マットの衝撃吸収能力『衝撃力(N)= 重量(4.75 ㎏)× 加速度』を評価しています(図1)。今回の有孔マットは、その時最も衝撃力が少なかったウレタンマットよりも良好な数値(1503.5N)を示しました。
症例1:蹄病
『右後肢 外側蹄 蹄底潰瘍』加療第9病日、跛行重度であり泌乳群から牛房に移動されました。通例では1cm厚さの硬いゴムマット上に、20cm厚さの麦稈を敷いて管理されますが、経験上それだけでは、足の不自由な牛には寝起きが少し辛いと思いました。今回は、牛房での初日に有孔マットを3枚(牛房半面)敷いて管理(看護)してみたところ、観察時、有孔マットには上半身しか乗っておらず(図2)、両後肢は有孔マット外(患肢側は下)にして寝ていました。学生がモクシを掛けるとやおら起立し始めました(⑪)。左後肢端を地面に突き立てるタイミングで腰が左に大きく揺らぎ(⑫)、左後肢端が後方に滑りました(⑬)。その後持ち直して起立状態が完成しましたが、立つために左後肢を身体に引き付けてから、起立が完成するまでの“起立動作所要時間”は9.32秒かかりました。そこで、立ち上がった牛を脇へ寄せ、有孔マットをあと3枚、計6枚:3㎡(牛房のほぼ全面)設置しました(図3)。
翌第10病日に、前日と同じく患肢を下に伏臥しており、起立を促すと、前日とは打って変わってスムーズに起立しました。起立動作所要時間は5.45秒に短縮されました。有孔マットによってグリップ力が増したことがうかがえました(⑭~⑯)。本牛は7日後、群に戻りました。
症例2:乳熱(過肥牛)
症例2は前産次に乳熱を既往しており、今産は過肥気味でした。農場側の判断で、症例1で使用した牛房に、有孔マットを全面設置した後に入室させました(過去の経験から、この様な牛はなかなかすぐには退院できないからでしょう)。初診時起立不能状態であり、Caを補正(点滴)した後、立ち上がろうとしました。若干の補助は行いましたが、後肢の踏ん張りが利かない時に特有の、足運びがバタバタしたり、両足が開脚したりせずに起立しました(⑰~⑲)。有孔マットによって後肢のグリップ力が増したことがうかがえました。本牛は3日後に群に戻り、農場管理者から「有孔マットの効果を実感した。」と高評価を得ました。合わせて、「敷料は保温と除糞のために必要だが、減らせる可能性はある」との意見を得た事も収穫でした。
事例紹介:有孔マットを削蹄枠場前に設置した
削蹄業務は蹄を削るだけではありません。むしろ、削蹄師は牛の扱いの方に気を使っているものです。牛の行動学、経験などから設備と方法のシステムを駆使してスムーズに牛を出し入れするのも削蹄技術なのです。ほとんどの牛はコントロール可能ですが、中には難しい牛がいるのも事実です。
今回は、削蹄枠場から退出する時に慌てて滑りかける牛がいることに着眼し、「枠場出口の有孔マットは、最初の1歩目を滑らせないことができるか」観察してみました(⑳)。
22頭観察したところ、5頭で、最初に着地した4肢の内の、少なくとも1歩で、有孔マットが明らかに歪み、瞬間的に大きな力を吸収したことがうかがえたものを動画で紹介しました(㉑~㉕)。
考察:牛の起立動作および地面のグリップ力
今や世界中から知識や経験が、学会、勉強会、文書や動画、またそれらのインターネット配信などを通して数多くもたらされています。最早新しい知識などないのかと思いきや、いやいやまだまだであり、しかもそれは「灯台下暗し」の例えのごとく、身近なところで見つかる可能性もあります。今回のテーマは、瓢箪から駒、私にとって目から鱗のものでした。
足元が不安定で、疼痛を感じれば牛は寝たまま起きないし、逆にずっと寝ないこともあります。起立して十分な食餌や水摂取が行われ、ストレスのない環境でゆったりと横臥反芻することで産後や疾病からの回復も早まるというものです。逆に、軽度の低Ca血症や神経麻痺のはずが、ずるずると慢性化して褥瘡や関節周囲炎を続発したり、1発の大きな滑走によって脱臼や筋断裂、または予期せぬ乳頭損傷を誘発して予後が一変したりすることもあるのです。推測の域を出ませんが、そもそもグリップ力のある地盤があれば廃用にならなくて済んだ牛は少なくないのではないでしょうか。または、もともと慢性経過をたどる症例で、もしも寝返りを頻繁に打たせなくて良いなら、もう少し看護可能な牛も居るのではないでしょうか。
有孔マットは設置が簡単なので、牛が換わるたびに清掃することが可能です。分娩牛はさっさと群に戻り、治療牛は早く治れば牛房利用回転が良くなります。起立が不自由な牛には特別な看護(労力と時間)が必要です。起立行動が改善することは、すなわち牛の居住環境および治療環境の改善、ひいては多くの健康牛をより健康に飼うことにつながると期待できるのです。
他方、削蹄現場でも“牛の滑走・不慮の事故”には気を遣います。騒いで飛び出たその1頭がけがをしないかどうかも問題ですが、1頭が慌てた後の連鎖反応も恐ろしいものです。そうさせないように準備段階から撤収が終わるまで、作業を終始慎重に行うのが削蹄者の技量なのです。今回は、共同研究を行っている削蹄グループの内、1台の削蹄枠場出口に1枚だけ有孔マットを設置して牛の様子を観察してみましたが、いくつかの牛は尻餅(汚れ・筋肉損傷)を予防できたと思われました。今後も症例数を増やしたり、様々な現場(例えば家畜運搬車など)で試してもらったりしてみたいものです。そもそも有孔マットがベストな物でもないはずなので、これをきっかけにより良い管理技術につながることを望みます。我々としても、蹄病治療を始め起立異常牛の管理にさらに研究を進める所存です。
【感謝】
本研究は多くの共同で成し得たものです。感謝いたします(敬称略)。
佐藤綾乃1 稲森 剛2 小松 真人3 森田 茂3 片山正幸4 加藤 敏英1
1.酪農学園大学 獣医学群 獣医学類 生産動物医療学
2.酪農学園フィールド教育研究センター
3.酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類 家畜管理・行動学研究室
4.有限会社カタヤマ