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在学生

内モンゴルにおける定住型放牧の発展と影響

掲載日:2021.12.16

酪農学園大学大学院 酪農学研究科 博士課程
植物資源生産学
 TIAN YING

1.内モンゴルの概要

内モンゴル自治区はユーラシア大陸の中東部、中国の北部、東経97度10分~126度09分、北緯37度24分~53度20分の範囲に位置し、北はモンゴル、ロシアと国境を接しています(図1)。総面積は118.3万km2で、日本のおよそ3倍です。総面積の70%が草原で占められており、牧畜を主産業としています。人口は2,404万人(2020年現在)で、内モンゴル民族は424万人です。自治区省都はフフホト市です。

気候的特徴としては、降水量が少なく、降雨が夏季(6月~8月)に集中していることが挙げられます。1年あたりの平均降水量は地域により大きく異なり、東部では500mmですが、西部では50mmと極端に少なくなります。夏季は短く、最も気温が高くなるのは7月で、この時季の平均気温は地域により16℃~27℃になります。一方冬季は長く、1月の平均気温は南部で-10℃、北部では-32℃にまで低下します。

2.内モンゴルにおける牧畜の歴史

内モンゴルの牧畜は古来から、放牧営地を季節的に移動する遊牧を行ってきました。牧畜民は伝統的に、放牧や家畜の出産と哺乳の介添え、搾乳、毛刈り、去勢、耳印入れなどの作業を行いながら、5畜(馬、羊、ヤギ、牛およびラクダ)の複合飼養で自給してきました。しかし、1980年から政府による定住化政策が進められたことにより、内モンゴルでの放牧形態は大きく変化しました。放牧の方法と牧草地の分割、さらには酪農経営への転換などで、かつての内モンゴル牧畜民の生産活動や生活が危機的な状況にあります。

また定住化政策は、牧畜業だけでなく自然環境にも影響を与えています。原因としては1980年代から内モンゴルの家畜頭数が飛躍的に増えたこと、さらには1980年代から90年代にかけてカシミヤ産業のためにヤギが大量に飼育されるようになったことで、家畜構成が変化したことが挙げられます。ヤギはほかの家畜と異なり植物の根元から摂食するので、植物は再生不可能なほどの損傷を受けやすく、草原退化はヤギの頭数が増加した影響も大きいと考えられています。

3.内モンゴルにおける定住型放牧の形成

内モンゴルが中華人民共和国の自治区の一つになった1947年から、伝統的産業である牧畜業は大きな転換期を迎えました。1953~1958年の間に内モンゴルでは牧畜業の社会主義的改造が行われ、「互助組」や「合作社」などの団体が組織されました。しかし、これはあくまでも牧畜生産関係における調整であり、遊牧生産方式を変えるものではありませんでした。1958年、中国全土に「人民公社」が設立され、中国は全面的に集団経済体制へ移行しました。内モンゴルでは1958年から個人所有の家畜と牧畜生産に関する機具をすべて集団所有に移行し、「生産隊」という牧畜業の生産と管理を行う基礎組織の管理下に置きました。この生産隊の指導の下で、牧畜民たちは家畜の放牧、秋の草刈り、羊の毛刈りなどの牧畜作業(労働)を共同で行うようになりました。牧畜民への労働報酬はその出勤状況に基づいて生産隊から均等に配分されました。この時代における草原利用の特徴として、①草原の土地権利が貴族所有から国家所有へ移行したが、引き続き牧畜民が共同で土地を利用したこと②遊牧の範囲は「旗」(内モンゴル自治区における行政単位の一つ)から生産隊組合の管轄範囲に縮小したこと③生産隊を単位に、共同で使用する畜舎や仮設住宅、井戸などが整備され、こうした基礎施設がある冬春の宿営地を中心に一部の牧畜民は定住するようになったこと―の三つが挙げられます。

1980年代、「改革開放」という経済政策により「生産責任制」が導入され、家畜が個人に分配されたことによって、羊とヤギの頭数が飛躍的に増えました(図2)。また、土地使用権の私有化によって土地が個人に分配され、定住型放牧が推進されました。家畜頭数の増加や定住化が進んだ結果、牧畜民と家畜が頻繁に同じ場所を繰り返し利用したことにより、小さい範囲での過放牧が生じ始めました。それが、近年の気温上昇と降水量の減少という自然的要因と重なり、最終的に草原の植生退化と砂漠化を招いたと考えられています。

1990年から中国内モンゴル政府により完全に定住型放牧へと転換し、定住化に伴いたくさんの柵が草原に設置されました。柵の出現により牧畜民や家畜の移動が制限され、一年中同じ牧草地で放牧することを余儀なくされました。したがって、狭い範囲での放牧により、定住した牧畜民の居住地周辺の放牧率が上昇しました。放牧強度(単位面積当たりの家畜頭数)が大きいほど、踏圧と採食圧が強くなり、柵内は過放牧の状態となります。最終的に柵内の劣化した土壌が砂ぼこりとなって柵外にも影響を与え、草原植生の悪化と土地の荒廃が生じ、草地生態系に悪影響を与えていると考えられています(写真1、写真2)。

4.内モンゴルの草原の砂漠化と政策

1990年代から内モンゴルでは、草原退化と砂漠化といった環境問題と牧畜民の経済問題が深刻化しました。生態環境の保全、牧畜経営の改善と牧畜民の生活向上を目的として、中央政府はさまざまな政策を実施しました(図3)。

1983年の「家畜請負」政策とは、国が家畜を個人に配分する政策、1997年の「土地請負制度」とは、放牧地などの土地の使用権を個人が請負う政策です。2003年の「生態移民」政策は、砂漠化などで環境が悪化した地域の住民を移動させることで、2002年に成立した「退耕還林条例」によって各地で実施されるようになりました。「退牧還草」政策は、家畜の放牧をやめて放牧地を草原に戻すことで、2002年に全国的に実施された後、内モンゴル自治区でも2003年から実施されました。退牧還草政策を実施するために「禁牧」「休牧」「区輪牧畜」の三つの方法が用いられました。「禁牧」は長期間にわたる放牧の禁止、「休牧」は牧草が萌芽から結実するまでの期間の放牧禁止、または必要に応じて一定期間の放牧禁止、「区輪牧畜」は放牧地をいくつかの単位に区分し、牧草地を替えて放牧(ローテーション放牧)することです。2002年からは牧畜業の産業化が重視されるようになり、牧畜業政策の主軸に据えられ、2006年からは強化と支援が開始されました。しかし、当初期待された政策効果は必ずしも発現せず、これらの政策により草原開墾、定住化、過放牧などの問題が進行し、さらなる草原退化・砂漠化を引き起こしました。また、牧畜経営の安定、牧畜民の生活向上の実現は難しく、牧畜業の持続的発展が問われました。

牧畜民は、砂漠化によって生活の基盤を失い、遊牧から定住した場所での放牧という生活様式の変化を余儀なくされました。砂漠化の原因としてまず挙げられるのが過放牧です。過放牧とは、牧畜民が経済的利益を求めて本来飼養可能な頭数以上の家畜を飼うことによって、牧地が荒れて砂漠化し、砂嵐が起きるというものです。しかし、実際には砂漠化は過放牧だけではなく、降水量の減少によって起こる干ばつが起因している面もあります。しかしながら、内モンゴル政府が採用した「生態移民」や「退牧還草」、「禁牧」のような砂漠化を防止するための環境政策によって、牧畜民は草原から離され、民族の伝統文化が失われました。これらの政策は砂漠化をより悪化させるだけでなく、経済的にも文化的にも極めて大きな影響を内モンゴルに与えました。このように、牧畜民は砂漠化と、砂漠化を防止するための環境政策による二重被害を受けていると考えています。

草原での定住型放牧政策による不適切な草原管理は、草地を再度退化させる恐れがあります。そのため、牧畜民の生活に影響を与えない限り、家畜頭数を減らす措置と草地環境条件に適した放牧制度の実施が重要であると考えられます。

私は、定住型放牧政策が実行された内モンゴル自治区アバガ旗地域で、植物の調査や土壌水分計測、土壌硬度計測、家畜の行動パターンと採食特徴などを調査し、草原の定住型放牧政策による植生退化過程を評価することで、定住型放牧政策前後の牧畜民の生活にどのような影響を与えるのか―を研究しています。私の行っている内モンゴルの「砂漠化」と「草原回復政策」の研究が内モンゴルの牧畜業の持続可能な発展に貢献できるように、今後も頑張っていきたいと思います。

 

<引用文献・参考文献>
阿拉坦沙・千年篤(2012)『内モンゴルの牧畜業の持続的発展方向に関する検討―「連戸牧場」を事例として―』,島根県立大学北東アジア地域研究センター編『北東アジア研究』,23,pp129-149
星野仏方・金子正美・石井智美・松中照夫・S.Ganzorig(2009)「≪遊牧≫≪定住≫がアジアの砂漠化と黄砂の発生に関する影響の研究」.『酪農学園大学・学内共同研究報告書』,pp1-100.
星野仏方・賽西雅拉図・佐藤藍 ・中村修平 (2010)「中国・内モンゴルにおける草原の沙漠化と緑化をめぐって」,『砂漠研究』20-1,43-48.

内モンゴルにおける定住型放牧の発展と影響
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