世界の乳文化図鑑⑪ キルギスの民族飲料
掲載日:2020.09.15
酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美
日本人の先祖が居住
キルギスは、天山山脈を挟んで中国と接するアジア深部に位置する国で首都はビシュケクです。琵琶湖の9倍もの大きさがあるイシククル湖の湖畔に沿って、かつて東西世界をつなぐ交易路があったことから、乳製品の東西交流を考える上で重要な国となっています。
オオカミを始祖とする建国神話を持ち、よく知られているのが「昔、キルギス人と日本人の先祖はここに一緒に住んでいた。羊の肉で満足しない人々が東へ去って、魚を食べる日本人になった」との伝承です。ひょっとしたら、私たちの祖先の一部はキルギスから来たのかもしれない―と想像すると、不思議な気持ちになりますね。
モンゴルの遊牧が広大な草原を季節によって“並行”移動するのに対し、キルギスでは国土の多くが標高2,000mを超えているため、夏はより高い山の上に、冬は低地へと“垂直”に移動してきました。遊牧のスタイルは環境によって多彩です。
ショロ社製の発酵乳飲料
お茶をはじめとする嗜好 飲料は、生活に潤いを与えてくれる貴重な存在です。嗜好飲料の一つであるコーラは1886年に米国で発売され、世界中に広がりました。その味は、販売する国によって微妙に違うようです。
キルギスにはコーラなどの外国産飲料を抑え、圧倒的に支持されている民族飲料があります。それは92年の民主化の後、兄弟で起業したショロ社製発酵乳飲料です。一つは牛乳を強く乳酸発酵させた白色の「チャラプ・ショロ」、牛乳に麦芽を加えて発酵させた茶色の「マキシム・ショロ」。さらに、この二つを混合したベージュ色の「ジャルマ・ショロ」です。
発酵しているので、製造後1カ月は持つといわれています。常温で保存できない乳を、安全においしく保持するためには発酵乳にするのが最も合理的な方法で、発酵による酸っぱい乳の味は遊牧民にとってまさに民族の味なのです。
自家製から工場製へ
ショロ社の成功は、現在の乳食文化の一つの姿として興味深いものです。街の至る所に「ショロ」の販売スタンドがあり、赤と青のカバーで保冷された「ショロ」を若い女性がカップで販売しています。人が集まる所には「ショロ」があり、老若男女問わず1日に何杯も飲むという次第。それはロシア各地の広場で民族飲料「クワス」を飲む情景とそっくりで、ゆったりと和やかな一種特別な時間が流れているかのようでした。
ちなみに「クワス」には乳は使われておらず、穀物が用いられています。ユーラシアの民族飲料を考える上で、こうした穀物の利用はアルコール分を求める醸造を別にしても、とても気になります。モスクワでは「クワス」がコーラに圧倒されたかに見えた時期もありましたが、今日では街頭での販売も完全に復活しました。民族に伝わってきた味には、人の記憶の深いところに訴えるものがあり、それが伝統的な飲料を復活させているのではないでしょうか。
ショロ社は都市周辺の遊牧民と契約し、原料となる牛乳を定期的に集乳車で集めています。牛乳の販売は、遊牧民の貴重な現金収入源になっています。今日の民族飲料の製造は、こうしたモータリゼーションに支えられているのです。「ショロ」は民族飲料が自家製から工場製へと穏やかに移行できた一例といえましょう。甘さのない発酵乳の味に、わが国における新しい発酵乳開発のヒントがありそうです。