世界の乳文化図鑑㉒ ロシアのおふくろの味と乳製品
掲載日:2021.08.24
酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美
ユーラシアは家畜センター
かつてユーラシア大陸の乾燥地域ではスキタイ以降、幾多の遊牧王朝が興亡しました。その末裔が暮らしているのが多民族国家であるロシアです。
広大なユーラシア大陸は、人が野生動物を“家畜”とする上で重要な、いわば「家畜センター」でした。地球上には多くの種類の動物が存在しているものの、人が家畜化できた動物はわずか14種類ほどといかに少ないかを、米国の進化生物学者J・ダイヤモンドがベストセラー『銃・病原菌・鉄』で述べています。その少ない家畜化した動物の多くが、ユーラシア大陸に生息しています。
はるか昔、人は野生動物を家畜化して“搾乳”という手段を獲得したことで、家畜を失わずに栄養の優れた“乳”を食料として継続的に得ることが可能となりました。搾乳は、人が生きていく上で画期的な技術でした。遊牧とは、農耕とは異なった“生き物”を介した食料調達スタイルだといえましょう。
家畜化された動物で最も北方に生息するのがトナカイで、その飼育者としてノルウェーの先住民サーミが有名です。野生トナカイと人が飼うトナカイが混じることもあり、まさに野生と家畜化が“行きつ戻りつ”しています。こうした状況は、同じユーラシア大陸のラクダにも見られます。
「ケフィール」が人気
さて、ロシアでもウラル山脈の北の端やカムチャツカなどでトナカイ飼育が行われています。しかしトナカイゴケしか食べない故、飼育が大規模に産業化するには至りませんでした。
今日、モスクワをはじめ、ロシア各地の都市で飲用頻度の高い乳は“ウシ乳”です。21世紀に入ってしばらくはモンゴルと同様、ビニール袋入りの牛乳が多く販売され、購入後、沸かして飲んでいました。現在は、地方のスーパーでも1Lの紙パック入りの牛乳が販売されています。チーズの品ぞろえも豊富ですが、高価格でもヨーロッパ産のチーズに対する嗜好がとても高いようです。
今日、クミスよりも安価な発酵乳として「ケフィール」が多く販売されています。果実風味の発酵乳も好まれ、ヨーロッパの某巨大メーカーの発酵乳や発酵乳飲料が店頭に盛大に並んでいました。またアイスクリームといえば、厳寒の屋外でおいしそうに食べている姿を滞在中に多く目にしました。
不可欠な乳製品「スメタナ」
そんなロシアで欠かせない乳製品は酸味のある「スメタナ」です。ボルシチの調理の最後に落とすことで、この料理に欠かせない味わいを醸し出します。赤いスープに白いスメタナが入ることで色彩もより華やかになります。ペリメニ(ロシア風水ギョーザ)にも、必ずたっぷりとスメタナを載せて食べます。われわれにとってギョーザの味付けはしょう油と酢ですが、スメタナも慣れてくるとおいしいものです。個人が好ましいと思う味には、民族の深いところにある“味の記憶”がかかわっているのでしょう。
最後に日常的な料理である「ミルク粥(カーシャ)」を紹介します。かつては麦をひき割にした粥であったことの延長に、今日のコメの利用があるのではないかと思っています。ミルク粥が「甘い」か、はたまた「塩辛い」かは、家庭によるそうです。われわれも21世紀の「乳とコメ」の新たな食べ方を考えたいですね。