農場のバイオセキュリティを考える ≪第11回≫「2010宮崎口蹄疫」の現地対策から見えたもの
掲載日:2021.02.22
酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類
教授 髙橋 俊彦
酪農学園大学大学院 酪農学研究科
博士課程 北野 菜奈
はじめに
現在、世界中が新型コロナウイルス感染症で苦しんでいます。牛にもコロナウイルス感染症は日常的に発生します。衛生管理の徹底が本当に重要です。これは、人にも動物にも共通する感染症対策の基本です。
さて、あれから10年が経過しました。皆さんは覚えていますか?
2010年、日本の畜産界にとって非常に大きな出来事(惨事)が宮崎で発生しました。「宮崎口蹄疫」です。日本の畜産界が震え上がったこの大惨事は、当初10年前(2000年)と同様に急速に鎮火し、制圧できるものと国民、畜産関係者、そして宮崎県も考えていたに違いありません。しかし初動の遅れ(判断ミス?対策の遅れ?)から、感染はますます拡大し、日本国中を震わせた日本畜産界の大騒動になってしまいました。
あれから10年、近隣諸国では今も感染が起こっている現実を考えると、この大惨事を決して忘れてはなりません。
そこで今回は、当時産業動物臨床獣医師として宮崎県の口蹄疫防疫対策に参加した筆者から、当時の様子をあらためて報告したいと思います。感染症や農場のバイオセキュリティを語るとき、必ずこの大惨事を思い出します。この時のことを決して忘れてはいけません。二度と日本では起きてはいけない、起こしてはいけない口蹄疫の防疫対策を体験した筆者から、そこで目撃した凄惨な現場の状況や対応について伝えたいと思います。
1.口蹄疫防疫対策の記録
この国家的大惨事である宮崎県の口蹄疫防疫対策に、全国から多くの獣医師が集合して作業にあたりました。筆者はその中の「北海道派遣隊」(北海道NOSAI)の一員として参加する機会を得ました。
全国のNOSAIから55人の獣医師が派遣され、北海道NOSAIからは25人が参加しました。
以下は、口蹄疫発生農場での牛の殺処分に奮闘した北海道・釧路地区NOSAI(北海道NOSAI第2班)の宮崎派遣の対応策に関する記録です。
派遣期間は2010年6月11日~20日、派遣先は新富町、西都市でした。
(1)行程
6月10日: 移動日(釧路→羽田→宮崎→県庁→ホテル)
6月11日~20日:現地対応(殺処分班)
6月21日~22日:移動(宮崎→東京2泊)
6月23日~24日:東京のほかのホテルへ移動(2泊)
6月25日:移動(東京→釧路→札幌)
6月26日~7月2日:待機
7月3日より通常出勤
(2)注意事項
1)携帯電話は基本使用不可。東京から宮崎県内までビニール袋で密封する。帰りの東京まで開封しない(筆者は密封して使用した)
2)基本的に連絡はホテルの電話、ホテルのパソコンを使用する
3)宮崎県内ではスリッパ(ホテル内ではスリッパ①)を使用する
ホテル→現地対策本部(スリッパ②)、対策本部→現地(現地準備スリッパ)
4)宮崎滞在中の衣服などはすべて廃棄してくる
5)帰路用の服①は密封保管する
6)東京で釧路から東京間に使用した靴①は密封保管し、宮崎靴②に履き替える
7)帰路は服①と宮崎靴②に着替える
8)羽田空港で服①、宮崎靴②を廃棄し、服②、靴①に着替える
9)東京ではホテルを2カ所にする
10)追加でほかにもう2泊する指示あり
11)ホテルの変更時、服②を廃棄し、服③に着替える
12)帰路では、服③を廃棄し、服④に着替える
13)釧路で服④、靴①も廃棄する
14)持参したバックも廃棄する
15)滞在経費はすべて派遣者(NOSAI)負担⇒後に宮崎県より返金される
16)パソコン、デジタルカメラ、高級腕時計、指輪は持参しない
17)業務終了時に体を徹底洗浄し、3回以上うがい、鼻洗浄も行う
18)帰路では宮崎からマスクを使用する
19)自宅に直帰し、外出しない(5日間)
20)やむを得ない外出は、車であっても農場のそばを通らない
21)事務所には絶対出ない
22)体の洗浄とうがいを徹底する
23)家族と話すときもなるべくマスクを使用する
24)家族を含めなるべく農場の人と話をしない
(3)一日の行動
1)午前5時半に起床
2)午前6時から食事(朝早くて食べるのが大変)
朝食は、皆さんかなり食べる。昼まで時間があるので体力が持たないため。女性も思いっきり食べている。それと、朝食しか栄養バランスが取れないため、ここで栄養補給する
3)自分のパンツ、Tシャツ、短パン、スリッパで午前7時のバスで現地へ向かう
4)約1時間後、対策本部に到着(午前8時)
5)現地準備のパンツ、Tシャツに着替え、タイベックスを2枚着用する(この時、既に汗が噴出)、現地準備の靴下を履き、前面と背面に「北海道NOSAI髙橋」と記入する
6)帰り用のパンツとTシャツを持参して、現地準備のスリッパを履いてバスで現場へ移動(午前9時)
7)現場テントでゴーグル、マスクを装着する
1枚目のタイベックスにラテックスグローブを付けてガムテープで固定し、その上に長い厚手のゴム手袋をつけて2枚目のタイベックスにガムテープで固定する。最後に現地準備の長靴(ほとんど再使用)を履いて準備完了
8)今日の予定を聞き現場に入る(午前9時半)
9)現場で詳細な説明を受けて殺処分に入る
10)基本的に午前・午後各2回の休憩を取る
11)昼は現地準備の弁当(毎日ほとんど同じメニュー)を、農場内でそのままの格好で食べる
12)作業終了後に保定者と獣医師で殺処分した牛たちに黙祷(午後4時半)
13)終了後、タイベックスとともに全身消毒をして、その場でタイベックスを脱いでパンツ、Tシャツと長靴のみでテントに戻る(女性も同じで、あまり配慮がなかった)
14)テントで持参したパンツとTシャツに着替える(丸裸で、女性は囲った小テントを利用)
15)新しいタイベックスを着て、バスに乗る前に再度足を消毒して対策本部へ戻る(午後5時)
16)対策本部に着いてから再度足を消毒し、うがいと手洗いをしっかり行う
17)再びパンツ(現地準備)と朝着ていったTシャツ、短パンに着替えてバスでホテルへ向かう(午後7時)
19)ホテルに戻ったら短パンを洗濯し、パンツ、Tシャツを密封する(午後8時)
18)目と鼻を洗浄し、シャワーを浴びる(石けんを使って3回洗う→部屋自体が汚染されているため、3回はいらないと思った)
このように厳しいセキュリティ状況で毎日作業を実施しました。
2.農場、地域、現場で再考を
あらためて今後このような感染を起こさないために、どのような日常対策が必要であるのか、農場で、地域で、現場で再考し、実施していただきたいと思います。自分の農場は自分で守るしかないのだから!