ジャーナル・アイ

ジャーナル・アイ

Journal Eye
その他

必要とされる!“牛の都合”を想像する視点

掲載日:2019.04.10

酪農学園大学獣医学群
獣医学類(獣医倫理学)准教授

髙橋 優子

 

 日本の獣医科大学では、2016年度から「獣医学の知識だけでなく、診療技能・態度においても優れた獣医師を養成する」ことを目的に“vetOSCE(Veterinary Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)”という共用試験が始まった。具体的には、獣医学部の4年生終了時に「実習を行うために不可欠な知識や技能が備わっているか」を試すものであり、これに合格して初めて5年生以上における実習を行うことができる。

 この試験にはいろいろな種類の“問題”が用意されているが、そこには牛や犬の身体検査も含まれている。興味深いのは、これらの身体検査には生身の牛や犬の代わりに、犬のぬいぐるみ(ホテイくん)と子牛のモデルが使用されることである。それは動物に対する倫理的な配慮ゆえである。たくさんの人が集まる知らない場所に連れて行かれるだけで、牛や犬は恐怖とストレスを感じるであろう。また、何度も知らない人に体を触られ、検温(直腸に体温計を挿入する)までされてはたまらない。

 しかし、この試験の試行的実施に参加した際、全国の獣医学者から「“生体”を使った方がよいのではないか」という意見(公式にではないが)を何度も耳にした。特に「牛に関しては…」ということである。ある大学では、実際に生きた牛を使って試験的に当該試験を行ったこともあるという。「動物の福祉、福祉というが、動物の福祉に配慮しながら行えばよいのではないか」「生きている牛を試験に使うのがいけないなら、実習はどうなるのか」などのコメントもあった。獣医学者として牛に長年接して来た先生方は「牛がどう感じるか」についてはほとんど考慮に入れていないようであった。『獣医倫理学』という学問は新しい分野であるし、大学時代に“獣医倫理”を学んでこなかった先生たちを一概に責めることはできない。とはいえ、“牛の都合”を想像する視点がないのを目の当たりにすると驚きを禁じ得なかった。

  “人の都合”で人間の支配化に置かれている動物たち(家畜、ペット、実験動物、展示動物など)が生きている間、肉体的・精神的に幸福であるように配慮し、処分する際には苦痛のない方法で行う-というのは利用している人間の義務である。ぬいぐるみやモデルを使えば済むようなときまで、本物の動物を使うべきではない。それは近年の研究により、従来想定されてきた以上に、動物たちは痛みや苦しみを感じるということが分かってきたからである。しかも、牛のような被食種は、痛みを隠す(捕食者に弱っていることを気付かせないため)習性があるので、人がそばにいるときに平気そうでも安心はできない。人がいなくなった途端に、苦しみ出す牛もいるのである。

 旧約聖書の申命記25章4節には「脱穀をしている牛に口籠くつこをつけてはならない」という規定がある。これは牛を酷使しすぎないように、その労働に制限を設けて保護するための規定である。この規定は新約聖書にも2回引用され、広く知られており、古くには実行されていたと思われる。米国の動物学者であるテンプル・グランディンは、このような人と家畜の共生関係を“古代の契約”と呼んでいるが、古代人にできたことは現代人にも可能であろう。