酪農と聖書⑦ 高い倫理性はそれ自体が付加価値となる
掲載日:2019.05.09
酪農学園大学獣医学群
獣医学類(獣医倫理学)准教授
髙橋 優子
北海道十勝管内中札内村に「想いやりファーム」という変わった名前の牧場がある。以前は「レディースファーム」という名前だったという。この牧場名は、スタッフ全員が女性であったことに由来する。2019年5月現在、草地28haに乳用牛30頭を飼養しており、スタッフは8人である。この牧場が有名なのは、国内ではここだけが“無殺菌牛乳”を出荷しているからだ。「無農薬・無肥料・無配合飼料」によって生乳を生産しているが、それだけでこの稀有な牛乳が供給できるわけではない。この牧場は「倫理的に正しい」のである。
同牧場のホームページ(http://www.omoiyari.com)に詳しく紹介されているが、ここの牛は“牛らしく暮らす”ことを許されている。つまり、ストレスが最小限に抑えられているのだ。「牛たちにとってのベストを牛目線・牛の立場で追求し続ける」「牛の個性・牛のペースに合わせる。それぞれの個性を把握できなくなる増頭はしない」など動物倫理に合致した理念を掲げており、実際にこれを実践しているのだ。こんな浮世離れしたことをすると牧場がつぶれてしまうのではないかと心配してしまうが、それは余計なお世話で、この牧場の生乳は全国57カ所の小売店に卸され、またインターネット注文によって個人にも届けられている。普通の牛乳が飲めないアレルギー体質の人でも、この牛乳なら大丈夫といったこともあるらしい。
“牛の都合”が優先されているため、すべてのインターネット注文に応えられないこともある。それでも、牛の都合を無視するような増産は行われないのである。消費者はこの割高な牛乳を買うために、牛が気持ちよく乳を出してくれるのを待たねばならないのである。これは、ベンツなどヨーロッパの高級車と同じ商売のやり方である。“ステータス・シンボル”となるほどの高級車はすべて手作業で、職人によって丁寧に造り上げられる。当然、大量生産はできないので、予約してから何年も待たねば入手することはできない。それでも、人々は待つのである。高品質なものには付加価値が付くからである。食糧生産にこの論理をそのまま持ち込めるかどうかは、別に考えてみる必要がある。とはいえ、「想いやりファーム」の製品は高級車とは違い、一般の人々が買えないほど高いわけではないし、何年も待たねばならないわけでもない。
これは酪農学園の掲げる「健土健民」「循環農法」を体現するかのような酪農の実践例であるといえる。今後、環太平パートナーシップ(TPP)協定によって国内の酪農家も大きな影響を受けることが予想されるが、生き残る道はある。それは「倫理的に正しくかつ高品質な牛乳を生産すること」である。その際に、“乳牛”と同じ“女性”であるスタッフの視点が生かされればさらによい。
聖書には「子山羊の肉を母山羊の乳で煮てはならない」という、にわかには理解しがたい古代的なルールが存在する。また、ユダヤ教徒の“食餌規定”には「牛肉と乳製品を同時に摂取することができない」というルールがある。これらはおそらく、母である動物の感情への配慮から生まれた『古代の契約』の一部と考えられる。『古代の契約』を復活させることは、酪農業復活への契機となり得る。