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食品

世界の乳文化図鑑① 乳糖不耐症であるが故に“乳”を食べる人々

掲載日:2019.11.20

酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美

 

家畜と共に暮らす遊牧

われわれの祖先は、人の子供と子畜が乳だけである程度まで大きくなるのを見て、乳にある種の神秘的な力を感じたことでしょう。

“乳”を語るに当たり、まずは家畜のお話から。家畜を飼うことを指す「牧畜」は、有蹄類の草食性家畜を群れとして管理し、その乳、肉、毛皮などに日常生活の必需品を依存する割合の高い生活様式といえましょう。

世界を眺めると、乳を利用する家畜として牛、ヤク、水牛、羊、ヤギ、馬、ラクダ、トナカイなどが挙げられます。熱帯で飼われている水牛と極北のトナカイを除くと、その生息地域は、東端はモンゴル、中央アジアから西アジアを経て中近東、北アフリカまでベルト状につながる広大な地域であり、それらの地域では家畜と共に暮らす「遊牧」が営まれてきました。遊牧は農耕の後に始まったともされ、かつては遅れた生活ともいわれていましたが、その簡素で合理的な生活形態から、近年では再評価されています。

正月料理は白尽くし

遊牧民は、乳をどのように利用してきたのでしょうか。私は乳、肉に依存する割合の高い遊牧の食に関心を持ち、モンゴルの遊牧民宅を16年間訪問してきたので、そこでの乳利用を紹介しましょう。

モンゴル遊牧民は、乳の白い色は“清浄な心を表す印”とし、乳・乳製品を「ツァガーン・イデー(白い食べ物)」と呼んで大切にしてきました。彼らは“モンゴル5畜”と呼ばれる羊、ヤギ、牛、馬、ラクダを生活地域の植生に合わせて複数種飼い、搾乳してきました。子畜の成長を妨げない範囲で乳を分けてもらう“搾乳”という技術を習得したことで食料を確保し、遊牧が存続してきたともいえるのです。

モンゴルでは、チベット歴で正月「ツァガーン・サル(白い月)」を祝います。草原の冬は氷点下40℃以下になることもしばしばで、寒さに耐えながら、老若男女を問わず正月を心待ちにしています。

新年を迎えたゲル(移動式天幕住居)の中央には、羊1頭を6等分してゆでたものを盛り合わせた伝統料理「シュース」と、「ボーブ」という羊脂で揚げた菓子を奇数段に組んで積み重ねた飾りが晴れやかに鎮座します。これら二つの上には必ず自家製乳製品が山盛りにされます。そして天に捧げるために、搾りたての乳が容器に満たされます。どぶろく状の馬の乳酒である馬乳酒も欠かせません。このように“白尽くしの食品”を並べて縁起を担ぎます。来客には自慢の「ボーズ」(羊肉のみじん切りの入った饅頭まんとう)を蒸して熱々のところを供します。正月用に準備される「ボーズ」は1戸のゲルで1,000個にもなります。それが正月の間に皆、お腹の中に納まってしまうのです。

モンゴルでは“乳を飲む”のは母乳の足りない乳児だけで、搾乳後に冷却して加熱し、最初に乳脂肪を集めます。その後、残った脱脂乳を用いて連続的に各種チーズを作ります。モンゴル族はわれわれと同じモンゴロイドで、遺伝的に乳糖不耐症です。この遺伝特性から乳を飲まずに、身近な乳の性質を熟知して最大限活用するようになり、酸凝固と過熱による精緻せいちな加工体系が成立しました。遊牧民は“乳加工の達人”であり、まさに乳糖不耐症であるが故に乳を加工し、乳を食べる人々なのです。

世界の乳文化図鑑① 乳糖不耐症であるが故に“乳”を食べる人々

モンゴルの牛

世界の乳文化図鑑① 乳糖不耐症であるが故に“乳”を食べる人々

モンゴルの乳加工