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食品

世界の乳文化図鑑⑧ プロバイオティクスの先駆的飲料

掲載日:2020.06.16

酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美

アイデンティティーの証

これまでモンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、ヤクーと、中国内蒙古もうこ自治区、中国新疆しんきょうウイグル自治区の各地で、馬乳酒製造の現場を訪ねてきました。その過程で、これらの地域の馬乳酒製造の消長に“歴史”が大きくかかわっていることに気づかされました。これらの地域は、中国を除いて20世紀前半に社会主義体制を経験し、1990年代に民主化しました。半世紀に及ぶ社会主義の下で、遊牧という有史以来の生活形態は集団農場化などによって定住生活へと変わり、それは馬乳酒製造にも影響を与えました。

民主化以降、馬乳酒は「民族のアイデンティティーの証」として再評価され、今日ロシアやカザフスタンではスーパーの店頭でペットボトル入りの馬乳酒が販売されています。モンゴルの空港では土産用の馬乳酒が売られていますが、表示を見ると小さく“牛の乳使用”と書かれているのでした。

ゲルごとの味

モンゴルでは夏の間、盛大に自家用の馬乳酒を作ります。最近では「全国馬乳酒コンクール」が開かれ、金賞を取ったゲルでは人を雇い、多くの馬から乳を搾って馬乳酒を作ります。地面を掘って地中に保存施設を完備し、ウランバートルに家族を常駐させ、作った馬乳酒を販売します。都市部では馬乳酒の需要がとても多いのです。

夏の間、遊牧民の朝一番の仕事は自家の馬群を探し、子馬を捕まえることです。馬の搾乳は1日8回。そのたびに母馬を探す手間を省くため、日中は子馬をつないで母馬を確保します。草原で馬をつなぐ風景にも、遊牧のノウハウが詰まっているのです。

ゲルへの来客は、馬乳酒でもてなされます。私も聞き取りをしながらごちそうになりますが、発酵具合などがゲルごとに微妙に異なります。発酵容器は牛の1枚皮で作られた皮袋や木おけが使われていましたが、最近は扱いやすいポリ容器に変わってきています。

馬乳酒のアルコール度数は2.5%前後で、数杯も飲むとお腹がポカポカしてきます。これを数戸で繰り返すと、私もモンゴル式に「お腹の中が白くなる」とともにすっかりいい気分に…。移動は道なき草原を行くので揺れっぱなしで、酔いも順調に進行し、ドライバーに「ゆっくり走ってください」とお願いすることもあります。

さまざまな効能

モンゴルでは、今日でも男性なら1日10Lの馬乳酒を飲むことも珍しくありません。おおむね1日平均で男性は4L、女性は2Lといったところでしょう。馬乳酒のエネルギー量は1L当たり約400Kcalで、男性は馬乳酒を4Lほど飲むと1日に必要なエネルギー量(基礎代謝)を確保できます。まさに“液体の食べ物”です。馬乳酒の飲用には「内臓に良い」「体に良い」「風邪をひかない」「結核にならない」などの伝承があります。免疫グロブリンA、Gの値も高く、体に対するさまざまな効能の解明も始まっています。

本物を飲むには草原に体を運ぶのが一番。ウランバートル郊外の保養所では夏季に医師が体の状態を診断し、その指示の下で症状に合った量の馬乳酒を飲む“馬乳酒飲用療法”が行われています。効果が表れるのは1週間後からとのこと。心地良い草原で馬乳酒を飲んではうたた寝をして過ごすなんて、とてもすてきな夏休みですね。

世界の乳文化図鑑⑧ プロバイオティクスの先駆的飲料

馬乳酒、シュバットの店頭販売(カザフスタン)

世界の乳文化図鑑⑧ プロバイオティクスの先駆的飲料

木おけの発酵容器(カザフスタン)

世界の乳文化図鑑⑧ プロバイオティクスの先駆的飲料

馬乳酒コンクールで金賞を受賞したゲルでの製造(モンゴル)

世界の乳文化図鑑⑧ プロバイオティクスの先駆的飲料

最近増えているポリ容器(モンゴル)