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食品

世界の乳文化図鑑⑩ ネズミのお裾分けで作るチーズ

掲載日:2020.08.18

酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美

主力は“牛の乳”に

内陸アジアの草原の夏は家畜の泌乳量が増え、活気に満ちています。この地域で休むことなく毎日行われているチーズ作りには、西洋式の加工で必須である「塩漬け」「熟成」といった工程がありません。草原のチーズは屋外で乾燥させると数日で硬くなり、越冬用の貴重な食料として、翌年6月半ばの乳がたくさん得られる時期まで大切に食べ続けられるのです。

モンゴルでは長い間、羊やヤギの乳を用いてチーズなどの各種乳製品を作ってきました。しかし、20世紀に入ってから、その主力は“牛の乳”となりました。牛はもともと使役動物であったことから、チンギス・カンの埋葬地はまだ明らかになってはいませんが、牛がそのひつぎを運んだことが文献に記載されています。

乳製品の種類に混乱

乳加工に用いる“乳”の種類が変わったことで、同じ乳加工法でも味には微妙な変化があったことでしょう。興味深いことに、モンゴルの乳加工に関する報告は、19世紀末から日本人によるものがとても多くなりました。ところが、乳製品の種類や理解には混乱が生じていました。遊牧民が乳加工をしている最中(実際、こうした場合が多い)に聞き取りをすると、彼らは必ず途中経過の状態に付与した名称を告げます。さらに用いる乳の種類が違うことから、乳製品の種類は名称上では増えたことになり、こうしたこともあって「乳製品の種類は30種類にも及ぶ」という驚くべき報告もありました。しかし、現在の最終製品数は多くても8種類前後でしょう。

珍しい褐色の乳製品

2013年6月、ウランバートルから北400kmの草原で調査していたある日のことです。モンゴル西部出身の人から、褐色系でもっちりとしたチーズを頂きました(写真1)。形はモンゴルでは一般的な糸で切られた板状で、ゴマを連想させる甘いコクのある味わいでした。

乳製品はその白い色からモンゴルでは「ツァガン・イデー」(白い食べ物)と呼ばれ、「清浄な心を示すもの」とされています。この褐色のチーズは知る人ぞ知る地域限定の乳製品で、褐色なのは鉱物が入っているためでした。これまでもモンゴル西部の限られた地域で「ムミヨという名前のあるゆる病気に効く希少なタール状の鉱物がある。ムミヨはまれに地中から少量湧き出る程度で、探すのが大変だ」という話を聞いたことがありました。そんなムミヨを、モンゴルの企業が医薬用に粉末化したものが写真2で、とても貴重なものとされています。それが乳製品に加えられているとは驚きでした。

さらに、その褐色チーズを作っている地域では、なんと野生のある種のネズミが、越冬用の食料として天然鉱物を集め、穴を掘って蓄えているそうです。その穴を人が探し、中の希少な天然鉱物を頂戴しているというのです。すべてを取ってしまうと越冬用の餌を失い、ネズミが悲しみのあまり死んでしまう(いかにもモンゴルらしい表現)ため、必ず半分は残しておくのだとか…。

この話から連想したのが蜂蜜です。蜂蜜は、蜂の運んだ花の蜜を蜂が体内から出す成分と混ぜてできたものです。ネズミから横取りした鉱物も同じようなものといえそうですが、私たちにとってネズミとは、無害であっても印象はあまり良くありませんね。

褐色のチーズを初めて食べたときに「ネズミが集めた」という素材の出所を知らなければ、おいしかったのでもっとたくさん食べたのですが…。人とは、何といろいろなものを食べるのでしょうか。まだまだ未知の乳製品があることを実感しました。次は、どんな乳製品に出合えるでしょうか。

世界の乳文化図鑑⑩ ネズミのお裾分けで作るチーズ

写真1 褐色のチーズ

世界の乳文化図鑑⑩ ネズミのお裾分けで作るチーズ

写真2 医薬用に粉末化されたムミヨ