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食品

世界の乳文化図鑑⑳ ウマ乳の利用

掲載日:2021.06.10

酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美

馬の家畜化

大型の草食動物である牛と馬の家畜化は、人が羊やヤギを家畜にした方法を応用して行われてきたとされており、遺伝子による考察も盛んです。馬が家畜化された年代の検討としては、ウクライナのデレイフカ遺跡から出土した馬の骨のハミ跡と思われるものに注目が集まったこともありましたが、確定には至りませんでした。近年では「今から5,500~6,000年前頃では…」と考えられています。

牛は複数の胃で反すうして栄養を摂りますが、馬は単胃のために草を長時間食べ続けなければなりません。故に、いざというときに外敵から逃げるため“スピード”を獲得したといわれています。馬の家畜化によって人が高速移動の手段を得たことは、社会や国家の形成の大きな要因となりました。馬を活用したスキタイ族の登場が、紀元前3世紀末の匈奴きょうど(遊牧民族)による北方遊牧国家の誕生につながったことは有名です。

乳は馬乳酒に加工

食の面では、馬の肉は今日に至るまで各地で盛んに利用され、名物料理もたくさんあります。一方、乳は今日までさほど注目されてきませんでした。しかし、食料が限られた草原で、利用可能なものを用いる道を模索するのは当然でした。馬乳の脂肪球は極めて小さく、ほかの家畜の乳に比べて乳糖を多く含んでいるため、チーズなどの加工には適しません。そこで遊牧民は、自然界に生息する微生物の働きを活用するすべを経験的に習得し、独自の乳加工で加熱しない馬の生乳を発酵させ、どぶろく状の馬乳酒を作りだしました。

馬乳酒は本来、子馬用の乳の一部を人が分けてもらって製造される期間限定の飲み物です。夏季は保存ができないため、馬乳酒を毎日作ってはどんどん消費する特異な飲用形態となりました。味は甘くない乳酸飲料のようで、酸っぱさの中に軽い発泡性とアルコール風味を持っています。アルコール度数は、発酵があまり進んでいないものでは1%前後ですが、夏季の終わりは乳中の乳糖量が多くなるため3%近くにもなります。

貴重なビタミン補給源

盛んに馬乳酒を作っているモンゴル国ボルガン県の成人男性は、1日に10Lもの馬乳酒を飲むことを筆者が滞在調査で確認しています。1日に10Lの水を飲むことは無理ですが、馬乳酒の場合は数L飲み、速やかにトイレに行くことが繰り返されます。ほかに食事として固形物を取ることはなく、馬乳酒1本やりの生活を楽しむ人も多いのです。腸内細菌そうが入れ替わり、胃腸の状態が乳の豊かな夏仕様、すなわち腸が白くなり健康に良い状態になるのです。

馬乳酒は日本の甘酒と同様、微生物の代謝が関与して各種微量成分が多く含まれているため“飲む点滴”ともいえ、体内での代謝が極めて速いスペシャル飲料です。さらに、馬乳酒を1L飲むと日本の成人男性のビタミンCの食事摂取基準をカバーできます。野菜や果物がない草原では乳製品も貴重なビタミン補給源であり、栄養面でも大きく貢献してきました。

そろそろ夏ですね。ちなみに夏のモンゴルでは親戚、縁者のつてを頼り、万難を排して民族大移動が敢行されます。もちろん、馬乳酒をお腹いっぱい飲むために…。

世界の乳文化図鑑⑳ ウマ乳の利用

馬の搾乳風景

世界の乳文化図鑑⑳ ウマ乳の利用

モンゴル国の馬乳酒はポリ容器(左)や皮袋(右)に入れて製造される