世界の乳文化図鑑⑱ ロシアのクミス
掲載日:2021.04.20
酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授 石井 智美
ロシアにも干支が
今年の干支は丑(ウシ)です。12種類の動物が登場する干支という概念について、筆者は漠然と“アジア世界のもの”と思っていました。しかし2013年末、ロシア・ウラル山脈の西端にあるバシコルトスタン共和国(1992年まではバシキール自治共和国)に行った際、首都ウファの郊外の馬牧場で、モスクワから来たテレビクルーが「来年は午年なので取材に来た」と話してくれました。ロシアがアジアと地続きの国であることを再認識した次第です。取材は馬乳酒、すなわちクミスにも及んでいました。
バシキール産がおいしい
馬の生乳を微生物によって発酵させた飲み物を指す“クミス”という言葉はロシアで広く用いられていますが、ロシア語ではありません。今日もロシアにおけるクミス生産の70%を占める、バシコルトスタン共和国のバシキール人が用いてきたバシキール語由来なのです。
馬を扱うことに長けたバシキール人はかつて遊牧を営んでいましたが、今は定住しています。19世紀以降、ウクライナ地方のロシア人の移住が続き、草原の利用方法が大きく変わったのでした。
ロシアで“おいしいクミス”といえばバシコルトスタン産のクミスと認識されています。バシコルトスタン共和国では今も体毛の長い在来馬が飼われ、イネ科の草を食べることで良質の乳を出すといわています。
このクミスは結核が「死に至る病」と恐れられていた19世紀に、結核に効く飲み物として注目を集めました。バシキール共和国ではサナトリウム(結核療養所)に隣接して馬飼育場とクミス工場が建設され、クミスの飲用療法が行われました。最盛期には80カ所ものサナトリウムがあったそうです。かの文豪トルストイもバシキール共和国で療養し、快癒したことは有名です。
製法にさまざまな伝承
クミス製造の伝統的な発酵容器は木製の“チリヤック”で、今日、工場でクミスを作るときのチリヤックが欠かせません。訪問したクミス工場では、バシキール馬を9群に分けて通年搾乳し、クミスを製造していました。
馬の乳は季節、雌馬の状態によっても味が微妙に変わります。故にクミス製造で最も重要な発酵を起こすスターターを管理するため、ロシアには“クミスマスター”という技能職が存在します。訪問した工場には2人のクミスマスターが働いていました。
スターターや維持管理の方法はすべて秘密で、スターターを管理する部屋には当人以外は入ることができないとのことです。2人ともこの工場らしい同じ味のクミスを通年にわたって作ることができるそうです。クミス製造のポイントは、教科書的な知見として①馬の生乳の質が良い②馬の生乳を用いる③よく攪拌する―こととされています。一見単調に見える製造方法ですが、実は様々な伝承があるのです。
社会主義時代、モスクワから各地のクミス工場に対して一元管理・製造されたスターターが配布されたことにより、地域ごとのクミスの味が失われてしまったそうです。近年、伝統的なものについての再評価が進む中、ロシアでも伝統製法で作られたクミスの価値を再認識する動きが生まれていました。