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酪農と聖書③ 神の前に謙虚であることが 牧畜に携わる人々の美徳である

掲載日:2019.01.08

酪農学園大学獣医学群
獣医学類(獣医倫理学)准教授

髙橋 優子

 

 旧約聖書の創世記に出てくる最初の人間『アダムとイブの物語』は有名であるが、この2人の息子である『カインとアベルの物語』もなかなか含蓄が深い。兄のカインは農耕を行う者、弟アベルは牧畜を行う者であった。ある時、2人はそれぞれ神に献げ物をする。兄は自分が栽培した作物を、弟は自分の群れの中から動物を献げた。ところが、なぜか神は兄の献げ物ではなく、弟の献げ物を良しとする。怒ったカインは逆恨みして、アベルを殺してしまう。この兄弟殺しが聖書に語られる“人類最初の殺人”となっている。これを記した聖書の箇所を見てみよう。

 『人は彼の妻エヴァを知り、彼女は身ごもり、カインを産んだ。そして、彼女は言った。「私はヤハウェによって1人の人を得た」。

 彼女はまた、彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは動物の群れを飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

 ある期間が過ぎ、カインは土の実りを献げ物としてヤハウェにもたらした。アベルもまた、彼の群れの初子の中から最上の物をもたらした。ヤハウェはアベルと彼の献げ物に目をとめた。そして、彼はカインと彼の献げ物には目をとめなかった。カインは激しく怒って彼の顔を伏せた。

 そこでヤハウェはカインに言った。「なぜ、あなたは怒ってあなたの顔を伏せているのか。もしあなたが正しく行っているなら(顔を)上げるべきではないか。しかし、もしあなたが正しく行っていないなら罪は戸口で伏し、あなたを恋うている。あなたはそれを治めるべきである」。

 カインは彼の兄弟アベルに話し掛け、野に着いたとき、カインは彼の兄弟アベルを殺した』(筆者訳:創世記4章1-8節)。

 神はなぜカインのでなく、アベルの献げ物を良しとしたのかについては諸説ある。例えば、古代イスラエルにおいて、イスラエルが牧畜民(実際には牧畜だけでなく、耕作も行っていたが)としてのアイデンティティーを持ち、イスラエルの敵である諸民族がもっぱら農耕民として表象されることに対応しているからと考えることもできる。

 しかし、もっとも受容されている解釈は「農耕民は自分の力を誇るが、牧畜民は神に頼るから」というものである。これは「牛が土から生えた草を食べて乳を出す」といったプロセスが人の力の及ばない領域であり、まさに“神任せ・自然任せ”だということを考えると納得のいく解釈である。

 黒澤酉蔵翁は、このような事態を「人間の力は3分の1だけ」と表現したと伝えられている。酪農は「天・地・人」のバランスが取れて、初めて良い結果が得られるということであろう。もちろん、「聖書」も「三愛精神」も農耕を否定しているわけではない。むしろ「神の前に謙虚であることが牧畜に携わる人々の美徳である」ということが強調されているのである。