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乳糖不耐症とヒトの乳利用

掲載日:2021.03.29

酪農学園大学 農食環境学群 食と健康学類
教授
 石井 智美

はじめに

ヒトを含めた哺乳類が自分の子どもに与える乳には豊富な栄養が含まれ、その乳だけである程度まで子どもは育つことが可能です。そんな乳をヒトの大人が飲むと、腸管に不快な症状が出るのが“乳糖不耐症”です。これまで研究者のよって立つ研究分野によって、ヒトの家畜の乳の利用開始に関する学説に矛盾が生じていましたが、乳糖不耐症に関する遺伝子研究の進展によって整理がついたのです。

1.野生動物の家畜化

われわれの祖先は長い狩猟採取時代を経て、農耕を始め(有畜農耕が多かった)、その後乾燥地へ進出、もしくは押し出された人々が遊牧を始めました。しかし地域によっては農耕を経験せずに、狩猟採取から直接遊牧を始めた人々もいて、狩猟採取の後のなりわいの形態には大きく二つの流れがあるとされています。

その遊牧において食料を確保する上で、ヒトが利用出来ない草を食べ、乳肉を生み出す「生きた食糧庫」となってきたのが、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダなどの家畜です。

今日、草食の野生動物の中で最も早く家畜化されたのは中型のヤギ、ヒツジで、西アジアなど各地で同時多発的に始まったとされます。開始時期は研究者によって差が生じていますが、おおむね1万2,000年前から1万年前頃とされています。

2.家畜の乳の利用

「ヒトが何を食べてきたか」を遺跡などから考察すると、雑食です。そして野生動物を家畜化し、その乳を利用してきた生きものはヒトだけです。

動物はハンティングで獲物を倒し最初にその内臓を食べますが、乳を食することはありません。子畜の食べものである乳は、母畜が襲われた緊急事態にあっては当然ながら出ないためです。

考古学の研究成果から、ヒトが家畜の乳利用を始めたのは、野生動物の家畜化直後からではなく、1,000年ほど後なことが明らかになりました。その開始も想像するしかありませんが、家畜は自己の子畜以外に乳を与えないので、母畜を失った子畜の哺乳をヒトが介助する目的で他の母畜から搾乳を行ったのが、乳の利用につながったと考えられています。そうした搾乳には、ヒトと家畜の間で信頼関係が不可欠だったことでしょう。

日本語を話すわれわれは、乳を「飲む」と言いますが、英語を含め海外の言語では「食べる」と表現します。そこには今日に至るまでの長い間、乳がバターやチーズの原料であることが関係しています。世界の乳利用の中で、国内の生乳生産量の6割を飲用するというわが国の乳の消費形態は、実は特異なのです。

家畜の乳成分は、表に示したように畜種によって異なっています。生きて行くために急いで大きくならなければならない子畜も多いのです。

3.乳糖不耐症の話

乳に含まれている乳糖はグルコースとガラクトースが結合したものです。ヒトは乳児期まで乳糖を消化する乳糖分解酵素“ラクターゼ”を“ミニ染色体維持複合体成分(MCM)6”という遺伝子の働きによって分泌し、小腸で分解して消化してきました。しかし、乳以外の食べものを摂るようになるとラクターゼは分泌されなくなります。そのため、大人が乳を飲んでもラクターゼが無いので乳糖を分解できず、大腸にたまって消化不良や下痢、おなかがゴロゴロするなどの乳糖不耐症の症状が出現します。乳糖不耐症は重篤な病気ではありませんが、わが国でも多く、人類の8割が該当します。

筆者がフィールド調査を続けてきたモンゴル遊牧民は、その名のごとくモンゴロイドで、われわれ同様多くのヒトが乳糖不耐症です。しかし夏季の食事では、今日でも乳由来の栄養摂取量が7割にも及んでいます。大人は乳を飲まずに発酵させ、その発酵乳から各種の乳製品を製造し、まさに「乳を食べてきた」のです。そして家畜の乳量が増える夏季の初めには、大人たちはウマの生乳を飲み積極的に下痢をしてきました。下痢をすることで「冬季の肉食で赤くなった腸を夏季に白く」し、腸内細菌そうの入れ替えを図ってきたのです。乳糖不耐症ならではの腸管健康法です。

今日、わが国の若い世代では、牛乳を飲んでも乳糖不耐の症状が出ないと言われています。それは学校給食で牛乳を継続的に飲み、腸管が乳糖の刺激に慣れたためで、遺伝子的には「乳糖不耐症」なのです。牛乳を飲む量が増えると、腸管における不快な症状が出現します。特に冷たい牛乳を一気に飲むと症状は出やすくなります。乳糖不耐の症状を抑えて乳を飲むには、温めてゆっくりと飲むことが有効なのです。

4.ヒトの遺伝子戦略と乳

これまで乳の利用は、「乳糖耐性の遺伝子を持ったヒトの集団によって始まった」と考えられていました。この遺伝子を持つヒトは農耕に適さない気候の厳しい北ヨーロッパに多く、今日に至っています。しかし、彼らを乳利用の開始の担い手と考えるのは、牧畜の歴史を考える上で明らかな矛盾でしたが、なぜか同じ土俵で討論されることはありませんでした。

近年遺伝子を利用した解析が進み、新石器時代の中近東、ヨーロッパで暮らしていた多くの人の骨に残ったDNAから遺伝子を見たところ、乳糖耐性を持つ遺伝子は出ていないことが報告されました。MCM6遺伝子によってラクターゼが分泌され、そこに変異が起きたことで乳糖耐性を持つようになったことが明らかになったのです。

そして一部のヒトが変異によって乳糖耐性を持つようになったのは、ヒトが家畜からの乳利用を始めてから、なんと4,000年後であったことも明らかになりました(ワイナリー2018)。ということは、ヒトが草食の野生動物を家畜化し、1,000年を経てその乳利用を始めましたが、乳糖耐性遺伝子が出現するまでの4,000年もの間を、「乳糖不耐症」のままで過ごしていたのです。ちなみに乳糖耐性を持つ遺伝子の出現した時期は、人口が増加し世界各地で都市文明が興隆した時期でもあります。 

こうしたことから「乳糖不耐症」は、生きものの戦略として成長するに従い、乳糖不耐の症状を示すことで子どもの食べものである自己の種の乳を、大人が横取りしないようにプログラミングされていたためと考えるべきなのです。

そもそもヒトがヒト以外の哺乳類の乳を利用するということは、進化において想定されていなかったのです。

5.発酵を活用した乳加工

ある時、乳糖不耐症であるヒトは、乳を利用する上で不快な症状を引き起さないようにするため、乳中の乳糖量を半分ほどに減らすことが可能な微生物の発酵の力を知りました。世界各地で今日に至るまで乳の成分特性を熟知し、微生物による発酵を経験的に管理しさまざまな乳製品を製造してきました。各種のチーズや発酵乳は、乳糖不耐症でも安心して食べることができます。

ヒトは、発酵を活用することで乳製品の保存性を向上させ、さらに新たな風味と香りまでも手に入れて食を豊かなものにしてきたのです。

おわりに

アフリカやアラビア半島で暮らす遊牧民は、ヒトコブラクダを飼い、その乳を飲みます。彼らにとって、乳とはウシの乳ではなくラクダの乳で「水代わりだ」と言います。そんな彼らが乳糖不耐症か否かは明らかではありません。ちなみにラクダの乳は甘くてとてもおいしいです。

思うに、仮に彼らが乳糖不耐症であっても、日本の若い世代のように継続して飲み続けたことで腸管が乳糖の刺激に慣れたことと、冷蔵庫が無い環境で搾りたての温かい乳を飲むことで、ラクダ乳の飲用を可能にしたのかもしれないとも考えられます。

乳糖不耐症は、大人に乳を奪われない、子どもの食料を守るためにヒトに備わった遺伝子の戦略だったのです。そしてわれわれの祖先は、ほかの種の乳を安全に利用する術を見出し食料としてきました。遥かな時代から食べるために、そして次にはよりおいしく食べるためにと、注がれてきたヒトという種の食への貪欲さを感じます。

乳糖不耐症とヒトの乳利用

自家製乳製品を加工する女性(中国内蒙古自治区)

乳糖不耐症とヒトの乳利用

馬の搾乳風景(モンゴル)

乳糖不耐症とヒトの乳利用

ヒトコブラクダの親子(カザフスタン)

乳糖不耐症とヒトの乳利用

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