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疾病

ファージセラピーの紹介とわれわれの取り組みへの期待

掲載日:2022.06.30

酪農学園大学 獣医学群 獣医学類
教授
 岩野 英知

はじめに

近年、感染症といえばCOVID-19による世界的なパンデミックが問題となっていますが、薬剤耐性菌はそれ以前から長年懸念されている重要な問題です。このまま何も対処しなければ、2050年にはガンによる死亡者数を超える年間約1千万人が薬剤耐性菌によって命を落とすという試算があります(図1)。また、つい先日報告された論文によると、薬剤耐性菌の感染が関連した死亡者数は世界で495万人であり、そのうち、薬剤耐性が直接の死の原因であるものが127万人にも上ると報告されました。この薬剤耐性菌に対抗する手段の切り札として、バクテリオファージ(ファージ)を治療に用いる「ファージセラピー」が注目されています(図2)[1-3]。ファージは細菌を特異的に攻撃しますが、人体に無害なウイルスです。自然界には多くの種類のファージが存在し、それぞれの細菌に特異的なファージが存在します。ファージは宿主細菌膜上のレセプター分子を認識して自身の頭部に格納しているDNAを細菌内に送り込み、細菌の持つシステムを利用して娘ファージを大量に作り出します。そして細菌膜を壊して娘ファージが出てくることにより細菌は死滅します。このファージは、ペニシリンの発見より13年前の1915年に発見され、それ以降当時のソ連や、東欧諸国では盛んに感染症治療への開発が行われ、現在でも実際にヒトへ応用しています。近年、多剤耐性菌に対するファージの応用が欧米諸国で進んでいます。アメリカではIntralytix社が開発したファージスプレーがアメリカ食品医薬品局(FDA)より認可され、すでに応用されています(http://www.intralytix.com)。標的となる細菌はListeria monocytogenesEscherichia coli O157:H7、Salmonella spp.であり、食品加工段階におけるこれらの細菌による汚染を防ぐことを目的としています[4]。

獣医療においても、ファージの多様な応用が考えられますが具体的にはまだ応用されていません。大きくは、治療と予防という利用法だと考えられます。治療に関しては、人の医療に近い伴侶動物では、その命を救うために徹底的な救命治療への応用です。また産業動物では、徹底的な救命治療に重きをおくことはなく、むしろハードヘルス的な集団管理のもとで予防に近いような治療にて効果を発揮すると想像しています。特に集団飼育における感染症コントロールには、大量の抗生物質を使用するような使用法は薬剤耐性菌対策としては好ましくありません。よって、このようなハードヘルス的な対処においては、ファージセラピーが力を発揮するものと期待されます。

1.パターソン症例とは?

このような状況の中、多剤耐性のアシネトバクター感染症による瀕死の状況からファージセラピーによって回復した症例、“パターソン症例”が報告されました[5]。アメリカにおいては、未承認薬でも安全性を担保した中での緊急使用を認めるeIND(emergency Investigational New Drug)というシステムがあり、申請から3日で許可を得て、およそ59日間のファージセラピーによりパターソン氏は復帰されました。ファージセラピーでは、ファージに耐性となる細菌が出現する可能性があるため(多くは宿主細菌膜上のレセプター分子の変異による)、パターソン氏より分離されたA. baumanniiに対する溶菌性ファージを選定し、カクテル化ファージを作製して治療に用いました。アメリカでは、パターソン症例以降も実施例は増えており、さらにパターソン症例で中心的な役割を果たしたUniversity of California San DiegoではInnovative Phage Applications and Therapeutics(IPATH)が設立され(当研究室の藤木講師が留学中)、いよいよアメリカではファージセラピーの臨床応用が本格化する様相となっています。

2.ウシ乳房炎へのファージセラピーの検討

まず、複数のStaphylococcus aureus(SA)感染乳牛からの乳サンプルを用いて、SA株を分離し、そのSAに対して溶菌活性を持つファージを汚水から分離しました[6、7]。そのファージの溶菌効果を釧路地方の乳房炎由来SAと、ヒト由来MRSA株にて検証しました。得られたファージ(φ12、φ39)は、東京工業大学の丹治先生より分与いただいた株で都市部汚水由来でしたが、釧路地方の乳房炎由来SA全てに高い溶菌効果を示し(調査した57株のSAを全て溶菌した)、さらにヒト由来多剤耐性菌にも効果的に溶菌することが明らかとなりました。φ12は、SAに対して非常に溶菌効果の高いファージであることが証明されたことから、次に乳房炎モデルマウスによるファージセラピーの検証を行いました。分娩後7日の母マウス(ddY系)に全身麻酔を施して、頭側から4番目の左右乳腺内にSAを注入しました。SA注入後、ファージ液を新たに注入して2日間経過を見ました。2日後に麻酔下で安楽死させ、乳腺の状態を観察し、乳腺組織を摘出して乳剤を作製し、平板法にて細菌数を測定しました(図3)。細菌数に対してファージ数を100倍にして注入すると、細菌数がおよそ100分の1に減少していました。本データは、全身感染モデルにおけるファージ投与により生存率が改善され、また、宿主がいなくなると、ファージが排泄はいせつされていくという多くの論文データと一致しており、血液を介したファージの投与による治療の可能性も示したデータです。一方で、実際に牛を使用した実験的SA感染乳房炎においては、一定の細菌数の減少の効果はあるものの、完全に治癒するには難しい結果を得ており、複雑な乳腺構造、SAの細胞内寄生など、ファージが乳房内に広く局在している部位に効率的に届けることが難しいのではないかと考えています。現在、乳房内に細菌を侵入させないようなディッピング剤や乾乳期における応用など、予防的な応用も含めた検討を進めています。

3.伴侶動物医療におけるファージセラピーの臨床試験

ファージセラピーの臨床応用が各国で進んでいますが、世界的な認可基準を満たしたファージ製剤は未だない状況です。臨床試験での検証、そして命を救えた実績、そういった実績があってこそ世の中に認知されて実用化に弾みがつくと考えています。われわれは昨年、酪農学園大学内においてファージセラピーの臨床試験を行える体制を整えました。そして対象とした多剤耐性緑膿菌による犬難治性外耳炎に対してファージセラピーの臨床試験を行い、見事成功しました。この臨床試験においては、複数のファージカクテル化剤によるおよそ2週間の治療によって、ファージ製剤のみで治癒することに成功しました(図4)。これは、獣医療ではもちろん、人医療でも日本で初めての快挙となります。海外の臨床応用に遅れをとっている状況ではありますが、「日本のファージセラピーは獣医療から始まった」という一つの足跡となることと思っています。

この成功を踏まえ、本年度7月1日より、ファージセラピーの実用化をサポートしていただきたく、伴侶動物へのファージセラピーの臨床試験に対するクラウドファンディングを行います。ぜひともみなさんからのご支援をいただき、広く日本の社会で認知していただくこととなり、ファージセラピーの実用化によって、動物そして人の多くの命を救うことができるようわれわれもさらに邁進まいしんしていきたいと考えています。

 

引用文献
1.Reardon S : Phage therapy gets revitalized, Nature, 510, 15-16 (2014)

2.Cisek AA, Dąbrowska I, Gregorczyk KP, Wyżewski Z : Phage therapy in bacterial infection treatment; One hundred years after the discovery of bacteriophages, Curr. Microbiol., 74, 277-283 (2017)

3.岩野英知, 他 : 特集「ファージセラピー」, 動物用ワクチン-バイオ医薬品研究会会報, 17, 3-33 (2018)

4.Anany H, Chen W, Pelton R, Griffiths MW : Biocontrol of Listeria monocytogenes and Escherichia coli O157:H7 in meat by using phages immobilized on modified cellulose membranes, Appl. Environ. Microbiol., 77, 6379-6387 (2011)

5.藤木純平, 樋口豪紀, 岩野英知 :ファージセラピーの臨床応用と世界の動向 – パターソン症例から, ケミカルタイムス, 250, 25-31 (2018)

6.Iwano H, Inoue Y, Takasago T, Kobayashi H, Furusawa T, Taniguchi K, Fujiki J, Yokota H, Usui M, Tanji Y, Hagiwara K, Higuchi H, Tamura Y : Bacteriophage ΦSA012 has a broad host range against Staphylococcus aureus and effective lytic capacity in a mouse mastitis model, Biology, 11, pii: E25. doi: 10.3390/ph11010025 (2018)

7.Synnott AJ, Kuang Y, Kurimoto M, Yamamichi K, Iwano H, Tanji Y : Isolation from sewage influent and characterization of novel Staphylococcus aureus bacteriophages with wide host ranges and potent lytic capabilities. Appl. Environ. Microbiol., 75, 4483-90 (2009)

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