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資材価格高騰下における生乳価格引き上げの意義と課題

掲載日:2022.08.29

酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類
教授
 吉野 宣彦

はじめに

全国各地で飲用乳の生産者乳価が2022年11月から10円引き上げられると報道されています。加工原料乳の引き上げ交渉も進んでいます。肥飼料や燃料など資材価格の高騰が主な理由です。乳製品在庫が増えている中での乳価引き上げはさらに在庫を増やすリスクを伴います。2022年7月の消費者物価指数では、前年同月比で生活必需品の多い生鮮食品は8.3%、光熱水道費は14.7%上昇しています。6月の毎月勤労統計調査の現金給与総額は調査産業計で2.2%にとどまっています。消費者も乳価値上げに意味を感じ支持することが重要です。本稿では第1に生乳について主な価格と需給の長期的な動向を確認して、第2に資材価格高騰の酪農経営への影響を試算し、第3に生乳の国内自給が長期に柔軟に持続するための酪農のあり方を示します。

1.生乳の価格と需給の動向

図1には、生乳生産に関わるいくつかの価格動向を示しました。大きな流れを確認すると、以下を指摘できます。
第1に、配合飼料の価格(A)は2000年まではおおむね下がった後上昇に転じ、2022年6月までにおよそ2倍になりました。第2に、生産者乳価(B)は2006年まで下がった後に遅れて上昇に転じ、2020年にかけて1.3倍になりました。図中には生乳価格に対する配合飼料の比率を示しました。この比率が高いほど配合飼料を使用する経済的メリットが小さくなります。この40年間に数度の山があり、配合飼料の経済的メリットは変動しました。2022年にこの比率が最高となり、生産者乳価を高める理由が鮮明になりました。図示してはいませんが、給与飼料の栄養価に占める配合飼料などは増加し、広大な土地を利用している北海道でも1980年代前半では35%程度でしたが2020年には47%を超えました1)。配合飼料の価格上昇の影響は酪農経営により大きくなりました。配合飼料は輸入に依存しており、世界的な経済変動に強く揺さぶられるリスクが高まりました。
第3に、小売価格では、牛乳(C)は図中最低だった1986年と最高だった2016年と比べて15.5%と小幅に推移しました。バター(D)は生産者乳価と並行して38.0%の振れ幅でした。保存が難しい飲用乳の価格を安定化させ、保存しやすい乳製品で供給と価格を小売・乳業・農協・生産者などが競争しつつも協調して調整した仕組みが示されます。

図2には、生乳の需要と供給を示しましたが、大きな流れを以下の様に確認できます。
まず国内消費量(仕向け量、A)は1990年代までは増加しましたが、2000年以降は停滞しています。また国内生産量(B)はすでに1990年代に飲用向け(C)が減少に転じ、乳製品向け(D)は停滞となりました。そして輸入量(E)は増加が基調でした。国内生産と輸入を合計した国内向け供給量と国内消費量のミスマッチが在庫の増減となりました。在庫の増加が積み重なって数度の大きな山を形成し、2022年には過去最高の在庫製品量(F、右軸)と予想されています。
2022年度は過去最大の在庫を抱えつつも、過去最高の資材高騰のために生産者乳価を上げる事態に直面しています。在庫の増加と資材の高騰は幾度か繰り返されました。輸入と関係を深めた生産と消費のグローバル化は、価格高騰と在庫増加のリスクを高めました。今後はこの状況を想定して、国際環境の変動に振り回され難い柔軟な生産を可能とするスタイルがますます求められることになります。

2.資材価格高騰の経営への影響予測

表1には資材価格の高騰が酪農経営に与える影響を2020年の生産費調査(農林水産省)を基準に試算し、北海道と都府県を分け、搾乳牛の規模階層別に示しました。物財費の増加率を10%~40%の4段階に想定して農業所得の指標をいくつか示しました。影響は次のように説明できます。
第1に、北海道、都府県の合計欄ともに物財費10%の増加で農業所得の減少は30%と影響は3倍に拡大します。第2に、北海道の50頭未満の中小規模では物財費20%の増加で家族の作業1時間当たりの所得が最低賃金を下回り、経済的な魅力を失います。第3に、大規模も安泰ではなく、物財費20%の増加で都府県の200頭以上階層で経営当たりの農業所得が200頭未満よりも小さく、スケールメリットを失います。北海道では物財費30%の増加で家族の作業1時間当たり所得が200頭以上階層で100~200頭階層を下回ります。この生産費調査には借入金の元金返済が示されておらず、これが農業所得から引かれるため、投資を進めた大規模な階層でのダメージはより深刻となります。
2020年を基準とした農業生産資材の指数は、2022年6月に農業総合で115、乳用牛飼育用配合飼料で130です。酪農の物財費に占める飼料費の比率は農業総合指数に比べて倍近くの44%となる(2020年時点)ため、酪農の物財費は2020年に比べて2022年には20%ほどの増加と考えられます。仮にそうであれば、どの規模階層においても安泰ではありません。今は過去の貯金でやりくりしても、資材価格の高騰が続くと持続的に酪農の担い手を確保することは難しいでしょう。国産牛乳が飲めなくなるかもしれません。平均値で試算した結果は、生産者乳価引き上げの緊急性を示しています。

図3には、北海道の酪農専業地帯にある農協と農家との取引データ(クミカン)から算出した所得(以下クミカン農業所得とします)と経産牛頭数規模について個々の農家の分布を2020年の現状(A)、資材費が20%増加した場合(B)、さらに借入金返済後の可処分所得(C)で示しました。平均ではなく個々の農家の実状を可視化すると、資材価格高騰の影響の大きさと同時に多様性も確認できます。この図では機械や施設、乳牛などの減価償却費は農協との取引に含まれないため費用ではなく所得に含まれ、所得は高めとなります。つまりかなり緩い条件での試算で、以下の点を指摘できます。
第1に、回帰線の傾きは、経産牛頭数規模が大きくなると現状のクミカン農業所得(A)が増える右上がりの関係でかなり明瞭ですが、推計クミカン農業所得(B)では水平に近づき、推計クミカン可処分所得(C)では右下がりになります。つまりスケールメリットは無くなります。このA→B→Cの順序で上下の分布の幅も大きくなり、個別の収益性格差が広がります。
第2に、個々の農家は同じ経産牛頭数のままで所得はA→B→Cの順に下がる試算ですが、その低下度合いには個別差があります。図をよく見る必要がありますが、推計クミカン農業所得(B)がかなり高い位置を維持している農家がある反面、マイナス数千万円まで下がった農家もあることから推量できます。同じ頭数規模でも費やす物財費に大きな差があり、価格高騰の影響がさらに大きく現れています。
第3に、クミカン農業所得(A)が0未満の赤字となる農家を数えると、2020年時点で1戸(0.3%)、推計クミカン農業所得(B)で29戸(7.3%)、推計クミカン可処分所得(C)で88戸(22.2%)となります。
これらは減価償却費を所得に含めた緩い条件での試算結果です。価格高騰の影響の深刻さを示すと同時に個別に多様であることも確認できます。

3.長期的に持続可能な酪農へ

影響の多様性-つまり影響の小さい農家もあることは「個々の農家に努力の余地がある」という希望を示しています。価格高騰が長く続く、あるいはいずれまた襲ってくることを想定すると、どの規模であっても図中上部に位置することでリスクは下がります。この取り組みは事実なされており不可能ではないことを最後に示します。

図4には、2021年時点の経産牛頭数とクミカン農業所得の分布図の中に、クミカン農業所得が換算頭数当たりでトップクラスの12戸の過去18年間の推移を示しました。この推移の経過は多様です。多頭化しつつ所得を高めた例もあれば、ほぼ同じ頭数で所得を高めた例もあり、さらに頭数を減らしながら高位水準の所得に移動した例も確認できます。これらの経過の詳細をここに示すことはできません。しかしこうした事例がそれぞれの地域にあることを確認し、どのように取り組んできたかを調べ、誰にでも簡単にできる方法を見つけ出し応用していく。酪農家が協力してより持続的な酪農を築いている姿は、経済的にも意味のある取り組みであると同時に、多くの消費者から理解され共感を呼ぶものと感じます。ぜひ各地域で取り組むべきだと思います。

 

<参考文献>
1)「日刊酪農乳業速報 資料特集」2022年4月、p199

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