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疾病衛生

最近ちょっと耳にする選択的乾乳期治療の話

掲載日:2023.01.10

酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類
教授
 菊 佳男

はじめに

「選択的乾乳期治療」という言葉をお聞きになったことはありますか?

最近、国内でもちょっとした話題になりつつあるのですが、乾乳の時に一般的に行われている全頭全乳房に乾乳軟膏なんこうを注入する方法に対して、「選択的乾乳期治療」とは治療が必要な牛や乳房だけを選んで乾乳軟膏を注入する方法のことを言います。海外では、前者をブランケット・ドライ・カウ・セラピー(Blanket Dry Cow Therapy:BDCT)、後者をセレクティブ・ドライ・カウ・セラピー(Selective Dry Cow Therapy:SDCT)と呼んでいます。おそらくBDCTは、ブランケット(毛布)で牛たちを覆うようなイメージで名付けられたのではないでしょうか。本稿では、選択的乾乳期治療、略して「SDCT」がなぜ話題になりつつあるのか国内外の動向について解説していきます。

1.選択的乾乳期治療の考え方の広がり

乳牛の乳生産サイクルには、生乳を生産する泌乳期(約300日)と乳腺(乳房)を休ませる乾乳期(約60日)が存在します。乾乳期は生乳生産を行わないため乳汁の排出がありません。そのため、乾乳時の乾乳軟膏の注入は、抗生物質の効果が長時間持続すると考えられ、乳房炎治療に適していると考えられています。また、乾乳直後と分娩前後は、泌乳を停止することや分娩による生理変化、飼養環境の変化によって、乳房炎に罹患りかんしやすい時期であることもよく知られています。これらの理由から、1970~1980年代には乳房炎治療と予防を目的として、乾乳する牛の全頭全乳房へ抗生物質を注入する治療方法(BDCT)が推奨されるようになりました(表)。その結果、皆さんがご存じの通り、BDCTの考え方は定着し、乾乳期乳房炎や周産期乳房炎の低減に高い効果を示しました。ただ、それによって、乳牛に対する抗生物質の使用割合は、乾乳軟膏によるものが最も多いことになりました(図1)。

酪農分野において抗生物質は、健康な家畜から乳製品や畜産物を安定的に生産し、乳用牛の健全な発育を促すために動物用医薬品や飼料添加物として使用されています。その一方で、これらの抗生物質にはヒト医療で使用されているものと共通のものも含まれています。そのため、家畜に対して不適切あるいは過剰に抗生物質を使用してしまうと、薬剤耐性菌が出現し、それがヒト医療にも悪影響を与えるのではないか、と心配されています。これらのことから、2000年代以降に乾乳処置の方法は、BDCTから乾乳軟膏を牛個体や乳房の状態に応じて処方する選択的乾乳期治療(SDCT)の考え方へ、欧州を中心に世界各国で少しずつ広がり始めました。しかしながら現在の日本では、SDCTの取り組みはほとんど行われておらず、乳房炎の治療および予防の確実性と効率性からBDCTによる対策がまだまだ一般的です。

2.世界の乳房炎の現状 ~IDFアンケート2014の結果から~

国際酪農連盟(International Dairy Federation:IDF、酪農乳業に関する非営利国際団体)に所属する国々(15カ国:ベルギー、カナダ、チリ、デンマーク、フィンランド、ドイツ、アイスランド、イタリア、イスラエル、オランダ、ノルウェー、南アフリカ、スイス、スウェーデン、イギリス)の酪農家を対象に、IDFがアンケート調査を行っています。酪農を行う上で重要な病気について尋ねた質問に対して、乳房炎は14カ国中8カ国が第1位、3カ国が第2位と回答しました。また、乾乳期治療についての質問では、11カ国から回答があり、いずれの国も「何らかの乾乳期治療をすべき」と回答しています。そのうち、3カ国は全牛群を対象に実施、8カ国は牛群を選択、9カ国は牛を選択して実施することを推奨していました(複数回答可)。牛群や牛を選択する方法は、個体体細胞数やバルクタンク体細胞数、産子数、過去の治療歴などであり、基準は国によってさまざまでした。また、選択的乾乳期治療を行う国々では、10カ国中7カ国が乳頭内部シール剤の使用を推奨しています。乳頭内部シール剤とは、日本では承認されていないものなのですが、物理的に乳頭口や乳頭管、乳管洞乳頭部、乳管洞乳腺部をふさぐことで微生物の出入りを防ぐものです(図2)。日本でSDCTが進まない理由の一つは、乳頭内部シール剤が使用できないことも原因だと考えられます。

3.乳房炎原因菌と薬剤耐性

酪農生産現場において、抗生物質は多くの病気の治療に使用されています。国際的な論文検索サイトで、「牛、乳房炎、抗生物質、薬剤耐性」に関する論文を探してみたところ、2000年まではそれほど多くありませんでしたが、2000年以降急激に報告が増加しています(図3)。2005~2015年には、日本を含め54カ国で薬剤耐性に関する249件の報告がありました。2015年までは、牛の乳房炎治療で使用した抗生物質が薬剤耐性菌につながるというような報告はなかったのですが、2016年になってから、乳房炎原因菌で頻繁に問題となる黄色ブドウ球菌(SA)、コアグラーゼ陰性ブドウ球菌(CNS)、連鎖球菌属、エンテロコッカス属、Mycobacterium bovisについて、薬剤耐性菌の出現が相次いで報告されました。乳房炎原因菌においても薬剤耐性菌が現れてきていることから、今後も乳房炎に対する抗生物質の使用と薬剤耐性菌の出現について、モニタリングを継続する必要があると言えます。

4.海外における選択的乾乳期治療の取り組み

諸外国ではSDCT研究が盛んに行われていますが、その中でも先進的な活動を行っているオランダとドイツの取り組みや研究について簡単に紹介したいと思います。

著者の知る中では、オランダが最もSDCTに対する取り組みが進んでいます。オランダでは、2014年1月に酪農業界における抗菌薬の予防的使用を削減する目的で、臨床ガイドライン「乾乳期における抗生物質の使用」を制定しました。このガイドラインは、乾乳直前の検査結果で、初産牛は体細胞数が15万/ml以下、2産以上の経産牛では5万/ml以下であれば乾乳時に抗生物質を処方しないというものでした。そのガイドラインを導入した結果を2013年から2015年のデータ(330牛群2万7,500頭)から評価しています。乾乳軟膏の販売数は38%減少、泌乳期乳房炎軟膏の販売数は17%減少、乳頭内部シール剤の販売数は73%増加となりました(図4)。乾乳時に乾乳軟膏を使用する牛の頭数も年々減少し、バルク乳の体細胞数も20.4万/mlから18.8万/mlに減少したそうです。ガイドラインの総括としては、牛群によって十分な検証が必要との前提がありましたが、ガイドライン導入は乳房炎の発生数が増えることもなく、抗生物質の使用量を減少させるために有効であり、実用的なものであるとされています。

ドイツでは、乳房の感染状態を把握せずに長期間持続する抗生物質を乾乳時に処方することは問題との考え方から、SDCTについての研究が行われています。乾乳導入時の分房を、Group0:(感染なし、抗生物質使用せず)、Group1:(感染あり、感染分房のみ抗生物質投与)、Group2:(感染あり、全分房に抗生物質投与)、Group3:(感染あり、抗生物質使用せず)、の四つに区分し、分娩後の乳房炎発生状況を調査しています。その結果、Group1が Group2よりもやや乳房炎治癒率は高い結果となり、また、Group0の分娩後乳房炎の新規感染率は、通常のBDCTを行った場合の新規感染率と大きな差はないとのことでした。この報告では、衛生的基準が十分に満たされているのであれば、乾乳時の抗生物質投与が分娩後の乳房炎の防除に役立っていない可能性を示しており、また、SDCTは、分娩後の乳房炎の発生状況を変えることなく、抗生物質の使用量を大きく減少させることに成功すると結んでいます。

これらのことから、乾乳軟膏は、泌乳後期から乾乳時まで継続してきた乳房炎の治療には有効ですが、分娩後の乳房炎予防には効果が期待しにくいことが考えられます。また、分娩後の乳房炎発生は、乾乳時の乳房炎の継続というよりも、分娩前後に感染した新規乳房炎と考えた方が良いと思われます。国によって乳用牛の飼育環境はさまざまで、日本と簡単に比較することはできませんが、乾乳軟膏には治療と予防の両方を期待するのではなく、治療薬として使用することが適切と考えられます。

5.北海道内の乾乳軟膏使用状況と分娩後の乳房炎発生状況

著者らは、乾乳軟膏の使用率と分娩後の乳房炎発生状況の関連性を見出すことを目的として、北海道東部(道東)地域の酪農家1,579戸、乳用牛14万2,361頭を対象に、分娩頭数、乾乳軟膏薬治のべ頭数および分娩後の次期泌乳期乳房炎発症のべ頭数を調査したことがあります。乾乳軟膏使用率の結果から、酪農家を乾乳軟膏使用率0%(不使用群)、1~29%(低使用群)、30~69%(中使用群)および70%以上(高使用群)に群分けし、各群間の乳房炎発生率を比較しました。その結果、分娩頭数は13万1,858頭であり、そのうち経産牛は9万2,353頭でした。また、乾乳軟膏薬治のべ頭数は7万6,014頭であり、乳房炎発症のべ頭数は6万7,755頭となりました。乾乳軟膏不使用群の酪農家数は181戸、低使用群は65戸、中使用群は150戸、高使用群は1,183戸となりました。各群の平均乳房炎発生率は、それぞれ46.4%、51.4%、55.1%、56.1%であり、意外なことに不使用群が最も低い値となりました(図5)。これは、乾乳軟膏の使用が分娩後の乳房炎を誘発するということを言いたい訳ではもちろんありません。著者は、乾乳軟膏は乾乳時の乳房炎治療には有効だけれども、分娩後の乳房炎発生抑制に結び付くとは限らないと考えています。また、個体状態や飼養衛生管理が良好であれば、乾乳時に必ずしも乾乳軟膏は必要ないと推測しています。そのため、現在広く行われている治療と予防を兼ねた全頭全乳房への乾乳軟膏の使用法から、予防的な使い方を見直して、感染乳房を選択的に治療する方法へと見直す時期に来ていると考えます。また、それには諸外国で利用されている乳頭内部シール剤を日本にも導入する、あるいは、それに代わる予防技術を国内でも確立することが重要と思われます。

6.乾乳期治療を考える

乾乳期治療は、これまで治療と予防の二つの側面を持っていました。今の世界的な流れでは、抗生物質を予防的に使用することは望まれていません。「どの牛に対して抗生物質を用いて乾乳させるのか?」という問いに答える時代となってきました。しかしながら、これまで日本の酪農生産現場に浸透しているBDCTをSDCTへと移行することは容易ではありません。SDCTを広めるためには、酪農生産者の皆さんが安心して乾乳を迎えることのできる予防技術や、牛や乳房に対して乾乳軟膏の要否を判断する技術も必要になると思います。そのためには、われわれ研究者やSDCTに賛同くださる酪農生産者、臨床獣医師、動物用医薬品企業などの皆さんが協力しながら日本型酪農に適したSDCTの確立を目指すことが大切だと考えています。

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