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酪農におけるアニマルウェルフェアと現状

掲載日:2019.09.06

酪農学園大学 獣医学群 獣医学類
准教授
 林 英明

1.はじめに

家畜を飼養管理する際に、動物への過度なストレスの負荷は心身の健康や成長に影響をおよぼし、生産性の低下につながります。さらには生殖機能にまで重大な影響をおよぼすことがあるため、アニマルウェルフェアの観点からも、ストレス負荷をできるだけ軽減する飼養管理が求められています。アニマルウェルフェアとは1960年代にイギリスを中心に発達したもので、世界動物保健機構(OIE)の定義では「アニマルウェルフェアとは、いかに動物が生活環境と適応しているかを意味する。もし(科学的事実に基づき)、健康で、快適で、栄養状態が良く、安全で、内的に動機付けされた行動ができ、そしてもし苦痛、恐怖、慢性的ストレスのような不快な状態にないのなら、動物は福祉が良い状態だといえる。」とされています。また、アニマルウェルフェアを評価する国際的な福祉基準として1992年にイギリスの農用動物福祉審議会が5つの自由①空腹・渇きからの自由(健康と活力を維持させるため、新鮮な水および餌の提供)、②不快からの自由(庇陰ひいん場所や快適な休憩場所などの提供も含む適切な飼養環境の提供)、③痛み、損傷および病気からの自由(予防または的確な診断と迅速な処置)、④正常行動発現の自由(十分な空間、適切な刺激、仲間との同居)、⑤恐怖・苦悩からの自由(心理的苦悩を避ける状況および取扱いの確保)という概念を提唱しています。これら5つの自由は現在、家畜だけではなく、愛玩動物、展示動物および実験動物など、人間の飼育下に置かれたすべての動物に対する福祉基準となっています。アニマルウェルフェアは、日本語では動物福祉や家畜福祉という言葉で言い表されますが、福祉という言葉は社会保障を指す言葉としても使用されるため、先に述べたような本来の意味合いである「幸福」や「よく生きること」という考え方が十分に反映されないこともあります。

2.欧米諸国におけるアニマルウェルフェア

欧州では1960年代、密飼い等の近代的な畜産のあり方についてその問題が提起され、先述したようにイギリスで提起された「5つの自由」を中心にアニマルウェルフェアの概念が普及しており、現在ではEUによりアニマルウェルフェアに基づく飼養管理の方法が規定され、EU各国はそれに基づいて法令・規則等をそれぞれに定めています。また、アメリカやカナダ、オーストラリアなどでも、一部の州では州法による取組や生産者団体や関係者が独自にガイドラインを設定して、それぞれがアニマルウェルフェアの向上に取り組んでいます。

3.日本の畜産現場におけるアニマルウェルフェア

日本において、欧米諸国のような行政によるアニマルウェルフェアに基づく飼養管理法の規定やガイドラインはありません。しかし、公益社団法人畜産技術協会が検討会を設置し、家畜を飼養する者を対象としてアニマルウェルフェアに適切に対応した家畜の飼養管理を実施するための指針を取りまとめて公表しています。この指針では家畜の管理、栄養、畜舎などの各項目について、日本での家畜の飼養管理に沿った形での指針となっており、現在では乳牛、肉牛、豚、ブロイラーおよび採卵鶏について、アニマルウェルフェアの考え方に対応した飼養管理指針として公表されています。これらの指針をもとに、アニマルウェルフェアに生産者が積極的に取り組み、飼養管理の向上が図られることが期待されていますが、アニマルウェルフェアに対する生産者や消費者等の理解は十分とは言えないのが現状だと思います。

アニマルウェルフェアに対応した飼養管理を行う上で注意しなければならない点は、生産者が最新の施設や設備を導入することではないということです。重要なのは、飼養する家畜の健康を保つために家畜の快適性に配慮した飼養管理を意識して、実行することにあります。もちろん、飼養される家畜が快適に生活するためには、ある程度施設の構造や設備を整える必要がありますが、それよりも重要視されるのは日々の家畜の観察や記録、家畜に対する丁寧な取り扱い、質の良い飼料や水の給与などの適切な飼養管理であり、これらのことを生産者が意識して行うことが、アニマルウェルフェアに対応した飼養管理であり、動物の福祉状態の向上につながることになります。

4.アニマルウェルフェアの評価

現場レベルでのアニマルウェルフェアの評価としては、前述したようなアニマルウェルフェアの考え方に対応した飼養管理指針の項目をどれだけ満たしているかということになろうかと思われます。一方で、研究としてアニマルウェルフェアを評価する場合、対象とする動物のストレス状態を適切に評価することが必要となります。動物の行動を観察することによる行動学的ストレス評価はよく利用される方法ですが、主観的な評価となることがあるため、客観的な評価として生理学的指標を用いたストレス評価も行われます。数多くの生理学的なストレス指標がある中で、血中のコルチゾールは様々なストレスに対して鋭敏な反応を示すため、指標として利用しやすいという利点があります。しかしそのためには複数回の採血が必要となり、採血自体が動物にとってストレスとなる可能性を含んでいます。近年、血中のコルチゾールが糞便や尿、唾液、乳汁、被毛などに移行することが明らかとなっていて、痛みや苦痛を伴わず簡便に採取できることから、ストレス評価への応用が注目されています。一般的に血中コルチゾール濃度から慢性ストレスを捉えることは難しいとされていますが、糞便や尿中におけるコルチゾールの排泄は数時間~数日にわたって蓄積されるため、1日単位での評価に使用できるとされています。また、被毛では産生される数カ月間にもおよぶ長期間のコルチゾールを蓄積するので、長期にわたるストレスの判定、あるいは慢性的なストレスの評価が可能となるのではないかと期待されています

5.アニマルウェルフェアと認証制度

EUにおけるアニマルウェルフェアに関する政策として、アニマルウェルフェアに配慮した家畜飼養に転換する生産者への補助金の支払い政策があり、それによって広くアニマルウェルフェアの考えが浸透する一因となっていると考えられます。ただ、このような政策は財政負担の限界もあり、近年では各国のNGOである動物保護団体などが生産者や食品流通企業と共同して独自にアニマルウェルフェアの認証制度を立ち上げて、アニマルウェルフェアのブランドを開発して市場に流通させています。例えば、オランダではオランダ動物保護協会というNGOの認証により、アニマルウェルフェアの基準を満たした豚肉には「Beter Leven」というロゴマークを付けてスーパーマーケットなどで販売されています(図1)。同様に、イギリスにおいても英国王立動物虐待防止協会(RSPCA)による認証制度があり、乳牛、肉牛、豚、ブロイラー、採卵鶏、ヒツジなど多くの家畜に対しての認証を行っており、「フリーダムフード」というロゴマークを付けて市場で流通しています(図2)。

では、日本におけるアニマルウェルフェアの認証制度はどうなっているかというと、日本にはこれまで、アニマルウェルフェアに特化した認証制度はありませんでした。2016年にようやく、アニマルウェルフェア畜産協会という一般社団法人が乳牛における認証制度をスタートさせています(図3)。ただ、2019年3月の時点で認証されているのは12農場だけであり、オランダやイギリスのようにスーパーマーケットに行けば、アニマルウェルフェアに配慮した食品が購入できるという状況にはなっていません。このように、日本におけるアニマルウェルフェアの認証制度は始まったばかりですが、アニマルウェルフェア畜産協会では肉牛、豚など認証対象の畜種を拡大していく予定であるとのことなので、近い将来、身近なスーパーマーケットにおいても認証されたロゴの付いた食品を目にすることになるかもしれません。また、近年では外食産業などで多くの企業が自社の食品についてはアニマルウェルフェアに配慮したものを取り扱っているとうたっていて、消費者にとってアニマルウェルフェアが身近なものになってきていると感じます。

このように、日本においてアニマルウェルフェアの認知と普及はまだまだこれからだと思われますが、今後、アニマルウェルフェアに対する取り組みを普及させていくためには、生産者がアニマルウェルフェアの考え方を理解するだけではなく、消費者や食品流通業者に対してアニマルウェルフェアに対応した飼養管理の実態を含めた正しい情報を提供することにより、理解の醸成を図ることが重要であると考えられます。

図1 Beter Levenロゴ

酪農におけるアニマルウェルフェアと現状

図2 RSPCAによるフリーダムフードロゴ

酪農におけるアニマルウェルフェアと現状

図3 アニマルウェルフェア畜産協会ロゴ

酪農におけるアニマルウェルフェアと現状

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