特集

特集

Feature
搾乳

泌乳と搾乳の生理

掲載日:2018.04.27

酪農学園大学 農食環境学群 循環農学類
教授
 泉 賢一

1.搾乳は酪農における収穫作業

搾乳(生乳)は酪農経営におけるメーンの収入源であり、毎日繰り返される“収穫作業“といえる。酪農の収穫高(乳量)は、能力が同じ牛であっても酪農場(搾乳者)によって大きく変化する。それは、搾乳という作業は牛-人-環境(機械)の調和が求められる高度な技術だからである。牛の泌乳生理を知り、乳が放出されるメカニズムを理解した搾乳方法を実行しなければ、最大乳量を得ることはできない。しかし、多くの酪農家は、自分の酪農場の牛たちはその能力どおりの乳量を生産していると信じて疑わない。乳房内に蓄えられている乳を実際に見ることはできないので、“収穫し忘れ”があっても気が付かないからである。つまり、10kg搾れるはずの生乳が8kgしか搾れなくてもがっかりすることはない。

しかし、同じ牛に対して10kg搾れる農家と8kgしか搾れない酪農家では経営に大きな差が生じる。筆者の口癖に「酪農は掛け算である」というものがある。1日1頭あたり2kgの差であっても、50頭搾っていれば2kg×50頭で1日100kg、毎日搾乳するので100kg×365日で年間36,500kg。乳価が1kgあたり80円であれば36,500kg×80円で、年間損失額は292万円になってしまう。これを10年続けると・・・、考えるだけで恐ろしい。少量だからとばかにしていると、掛け算が繰り返されて莫大な損失となるのが酪農経営である。それがもうかる酪農家と経営の苦しい酪農家への分かれ道になってしまう。

2.泌乳の生理

牛の乳房は左右二つの乳房に分けられ、各乳房はさらに前後二つの乳区に分けられる。各乳区はそれぞれ独立しており、乳房炎原因菌が乳区をまたいで移動・感染することはない。乳房内は乳がためられる乳頭槽・乳腺槽、また乳を生産している乳腺胞腔や乳管が集まった乳腺実質に分けられる(図1)。

1乳区の乳槽容量は多くても500ml、ペットボトルで1本分程度である。従って、4乳区を合わせても乳は2kgしかたまっていないことになる。乳の大部分は乳腺実質にとどまっており、乳槽内にたまっている乳よりも圧倒的に多い。

乳腺実質にとどまっている乳は、水を含んだスポンジをイメージすると分かりやすい。スポンジを搾らないことには、ミルカでいくら吸引しようとしても乳を搾り取ることはできない。乳腺実質内にとどまっている乳を搾り出すのは牛であり、その秘密はオキシトシンというホルモンにある。

3.オキシトシンとは ―乳汁排出の仕組み―

乳房や乳頭に対して前搾りや清拭作業が加えられると、それが搾乳刺激となって脳の一部からオキシトシンが分泌される。オキシトシンは血流に乗って乳腺に到達し、乳腺胞腔を取り巻く筋上皮細胞を収縮させる。筋上皮細胞の収縮によって乳腺胞腔が押しつぶされると、内部に含まれた乳が排出される。排出された乳は乳管を通って乳槽に送られ、乳槽内にたまった乳はミルカで搾り取られる。オキシトシンの作用によって乳を押し出す作用を“乳汁排出反射”と呼び、この反射がなければ乳房内に存在する乳を搾り取ることはできない(図2)。

私事で恐縮であるが、職業柄、妻の授乳を興味深く観察した。すると、息子が「おぎゃあ」と泣いた途端に乳首の先端から乳がにじみ出てくるのを発見し、オキシトシンの効力を実感したものである。人では赤ちゃんの泣き声、牛ではパルセータや真空ポンプの音で漏乳することがあるが、これもオキシトシンの作用なのである。

4.乳汁排出反射の抑制

オキシトシンの効力が発揮されない二つのケースがある。

一つは、搾乳時間が長引いたときである。これはオキシトシンの分泌が長くは続かないことに起因する。搾乳刺激によってオキシトシン濃度が上昇しているのはわずか4~6分である。この時間をすぎてしまうとオキシトシン濃度が急速に低下し、乳房内に乳が残っていても搾乳できなくなってしまう。それ故に、搾乳は乳房に刺激を与え始めてからこの時間内で終えることが理想的である。

二つ目のケースは、牛がストレスを感じているときである。牛のストレスが高まると“アドレナリン”というホルモンが分泌される。このアドレナリンが乳汁排出反射を阻害する。酪農場で牛が受けるストレスとして、作業者からのストレスと飼養環境からのストレスがある。特に前者については、牛を立たせるとき、パーラへ追い込むとき、搾乳作業中に牛が肢を上げたり尾を振ったときに、作業者がどのような対応を取るかにかかっている。読者の皆さんはこのような場面に遭遇したとき、とっさにどのような行動を取るであろうか。

筆者は酪農場で働いた経験があるが、当時の親方からは牛に対して絶対に大声を出したり、手や足を上げてはならないとの教えを受けた。アドレナリンが放出されて“乳が上がる”状態を避けろということである。その酪農場では、人の都合で牛を急かすことをせず、すべて牛任せの管理方針であった。後にも先にもあそこまで牛にストレスを掛けない(人間側からすると忍耐力が求められる)酪農場は見たことがない。作業者の多くは牛が言うことを聞かなければたたく、蹴る、大声を出すといった行動を取りがちだろう。これによって、牛を思いどおりに動かすことができれば一瞬の爽快感を味わうことができるが、その代償として乳汁排出反射が抑制されてしまう。つまり、本来なら搾れるはずの乳が乳房内に残ってしまうのである。ある実験結果によると、優しい作業者に対して乱暴な作業者では搾乳時の牛の心拍数が上昇し、残乳量が1.5kg増加した(表1)。「酪農は掛け算」であり、1.5kgといえどもばかにできないことは既に述べたとおりである。

皆さんは牛にとって優しい作業者ですか、乱暴な作業者ですか。

 

<参考文献>

平井洋次(2012)デーリィ・ジャパン社(3):72-73.

Reece(1999)明解哺乳類の生理学, 学窓社.

Rushenら(2006)Dairy Science Update(1).

 

図1.乳房の構造

泌乳と搾乳の生理

図2.乳汁排出の仕組み

泌乳と搾乳の生理

表1.1回の搾乳時における、乱暴なハンドリングの人間と優しいハンドリングの人間が存在することの影響

泌乳と搾乳の生理

※ ダウンロードにはアンケートへのご回答が必要です。